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タケカワユキヒデさんから推薦を頂きました!
「自閉症の子供を持つ親が勇気づけられるだけでなく、自閉症のことをよく知らない人たちにとっても、とても意味のあるエッセイだと思います。 また、生のニューヨーク事情も知ることもできる。なんとも、幾重にもお得な素晴らしいエッセイです。 プロフィール 高梨 ガク 64年東京生まれ。ベーシスト。18歳でプロ・デビュー後、90年に渡米。ソウル、ジャズ系の音楽を中心に幅広い音楽活動を続ける。ポリスターより自己のバンド 『d-vash』(ディバッシュ)”Music Is”が発売中。 以前の記事
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そうか、それもそうだな。誰かが背中を押してくれなければ、怖くて踏み切れないことも、ドクターの意見なら心強い。今回の健康診断をきっかけに僕らはついにべんを一人で いつもの本屋に行かせるプランを遂行する事にした。
とは言うものの、週末がやって来て実際にその時が来ると決断をするのには勇気がいる。 ベンの勇気ではなく、行かせる側の勇気だけがたった最後に一つだけ繋がった糸だった。 当の本人は「I can walk outside by myself」と嬉しそうだ。 「OK、ベン。横断歩道では必ず車に注意を払って、信号が変わりそうになるときには交差点に入らない。 ストリートを歩いている時や本屋で独り言を言わない。わかったな!」と、僕は過去に何百回と確認したセリフをもう一度繰り返し、「Ok, dad」と全く同じ返事が返ってくるだなのだが、言ってみる事で不安な気持ちを抑え込もうとしていだけだった。 「I am going by myself」と嬉しそうに部屋を出るベン. 実は前回、一人で行かせるフリをして、いつもしていた尾行をかなり離れたところでしてはみたのだが、通りの向こうから見ていても事故を防げるわけでもなく,こちらの気が疲れるだけだった。もう出来る事はわかったのだから、ここは思い切り良く行かせてやれと自分に言い聞かせる。 家を出て10分も経たないうちに電話をしてみた。「ハイ、ベン。」「Hi dad」「すべて大丈夫か?今何処まで行った?」「81 street and two avenue」「2アベニュー? ああ、セカンドアベニューね」 まだ、アパートから5ブロックも離れていなかった。そうか、ベンは信号待ちをきっちりとするので、普通に歩くのの倍かかるのだ。 しばらくたってもう一度電話してみると、今度は丁度本屋に入る前だったので、独り言や、人に迷惑をかけないよう再度注意する。本屋は地下なのでこれで電話は4、50分の間通じなくなってしまう。 しかし、ここまでくると腹も据わるものであまり心配ではなくなり、生まれて以来初めて訪れた「ベンが家に居るのに離れて過ごす休日の時間」を不思議に感じはじめていた。 次に電話をしてみると、何回か圏外になった後、ようやく通じたのは別の店に入っていた後で、何事もなかったようにベンだけの時間は過ぎていったようである。その次に電話をしてみると、もう帰り道の途中で、10分ほどするとガチャリと鍵の音が聞こえアパートに戻ってきた。 「ベン、凄いな。良くやったぞ!」 「Dad, I'm home!」 誇らしげに聞こえるベンの声は、新たなるステップへの第一声だった。 #
by gakuandben
| 2010-12-22 01:28
| 自閉症に関して
ベンは生まれてからずっと近所のドクターで健康診断を受けている。
ベンの相談を最初にしたのも、自閉症の専門医を紹介してもらったのもその先生で、 夏の初めには、キャンプや学校にに提出する書類のために前々から予約をして年に一度は先生に会うことになる。 その予約はいつもベンの弟と一緒で、2人続けて診てもらい、先生と話すのは1回で済ませるようにしている。 今回もいつものように診断した順にベンについての話が始るのだが、じっとしていられない 本人は待合い室に戻り、僕と弟だけが診察室に残る。健康状態について説明の後、いつも日常生活についての話になるのだが、今回は 2人にとって子供から大人への橋を渡をするような話になった。 一人で出歩かせて良いものかと迷っていた僕に対して 「ベンは信号をきちんとまもれるなら、IDと携帯を持たせて行かせ てみてもよいと思いますよ」 弟と顔を見合わせるが、先生も僕らが随分と前から一人歩きの練習をさせ ているのを知っているので、澱みのない笑顔でそう言ってくれた。 「ベンの体と同じように心もどんどん成長していますから、 独立心も出て来たのだと思います。」 確かに、最近は本屋でも後ろをつきまとっていると、 どこかに行ってくれと言われる事が多くなった。 一通りベンの話が終わると今度は弟の方に話が移る。 こちらは、本人に直接話しをするのだが、体に関する注意が終わると 「さて、君は自閉症のお兄さんを持つ訳なんだが、それはどんな風に感じている?」 と質問される。 弟は、別段取り立てる事も無い受け答えをしていたが、笑顔でその受け答えを聞いていたドクターは確認をとるかのように、弟を見て言った。 「君に自閉症のお兄さんが居るということはこれからも決して変わる事が無い。ベンのことを理解しなければならない場面が沢山あるだろうけど、それはこれから君が一生かかわって行くことになんだよ。わかるね。」 弟はただ頷いて「OK」と答えていたが、僕はその先生の言葉を聴いて胸が一杯になってしまった。苦しい程にわかっている現実なのだが、実際に僕らよりも長くベンに関わるであろう弟にそれは全くその通りであることなのだが、家族以外の人から言ってもらえることが 一緒に聞いている僕にとって、とてつもなく大きな課題を与えられた運命のタイトルを聞かされるかのような気持ちにさせられたのだった。 そして、それはドクターという立場にある人が言う事によって、ポジティブな重みのある言葉となった。 年に一度のかけがえのない健康診断が終わり、僕らは夏に向かって行ったのだった。 #
by gakuandben
| 2010-10-16 02:42
| 自閉症に関して
ベンの学校で「センサリー・インテグレーション・セラピー」というプログラムが始まった。既に行われている行動セラピーに加えて、自閉症の人が不快に感じる細やかな事項を個々に分析してゆき、問題行動の分析、改善に役立てようというものなのだが、先日、保護者面談の時に見せてもらったベンの結果がとても興味深い。
「あなたは、他人の声が不快に感じますか?」という問いにベンはYESと答えており、声が大きすぎるのが不快としている。なるほど、いつも命令したり、怒られたりする時に声が多きのが原因かもしれないが、どちらにせよ大声は彼にとって不快なものでしか無いことがわかる。 その他に、教室の明るさや、温度など感覚にまつわる細かいストレスを項目として挙げてゆき、それによって環境を合わせることや、自分で別の方法によって解決させる方法を見いださせるのがゴールだ。クラスの中でもそれぞれの子がそれぞれの不快感を挙げていて、自閉症という障害の多様性を感じさせられる。 ふと思ったのが、僕らにも何らかのストレスから逃れようとする方法はそれぞれ無意識に行われており、それは貧乏ゆすりであったり、深呼吸であったりと、いわゆる「普通」に見える行動なだけで、それが例えばベンにとっては胸を平手でバンバンと叩くといった「変な」行動になってしまっているように思えるのだった。 本屋への道のりで、目の前に手をかざしながらテクテクと歩くベンに後ろから「手を下ろして !」と声をかける。ストップや、Don't ではなく、ただ「手は下に」というかけ声でベンの手は普通の位置に戻った。 歩く事に興奮するのか、周りを歩く人にストレスを感じるのか、景色の移り変わりが楽しいのか、依然として必要最低限の会話をする以外のベンは、家の中でも外でも外界とのコミュ二ケーションはゼロに近い。まるでテープ・レコーダーが入っているかのように、映画や漫画のセリフやナレーションを繰り返すのも、自分で喋る音が刺激になっているのだろうか。 止められない行動をコントロールするのは誰にとっても難しく、今回のセラピーの話を 先生から聞いて、一番理解してあげなければならない親でさえ、理解に苦しむ行動を1つ1つ意味付けしてくれるかのような気持ちになり、一般の人から見て「変」に見えるベンの行動を少し楽に見ることが出来た。 #
by gakuandben
| 2010-04-04 14:56
| 自閉症に関して
「チェンジ」は使われすぎてちょっと安っぽい言葉になってしまったが、新年こそこのキーワードが何か良いことにつながる気持ちにさせてくれる。
と、言ってもジムに通い始めるといった、ニュー・イヤー・レゾリューション的なものではなく、敢えて習慣になっていることから抜け出してみるのが僕にとっての新年的抱負であり、そんなわけで目標もゴールも無い。結局、髪を短く切ってみたり、ベースの弦をいつもと違うものに変えてみたりといった程度のもので終わってしまう。 ベンとの事もそうだ。出会って16年、自閉症という障害に向き合って12年の年月が過ぎ、ぐるぐると回る停滞感を打ち破り次のステップに進むことの大変さは本当に実感させられた。それは、1つの問題をフォーカスして結果を見るといったものではなく全体が波打ってそれぞれに波及するような変化であり、それに伴って何かが進みはじめれば、ということ をいつも期待している。 しかし、実際のところは怠け心が何もかも後回しにしていることが多い。そんなわけで、今年はベンの将来についてもっと真剣に向き合ってみようと思う。 学校というシステムがあるのは、あと5年。21歳になると、ニューヨーク市のスペシャル・エデュケーションは終了するのでそれぞれ進路を見つけださなければならない。そんなわけで先週は早速、学校のカウンセラーの方と一緒に職業支援施設の見学会に行ってみた。 ダウンタウンにあるビル1つが全て施設になっているF.I.G.G.S.という職業訓練所。かなり大きな規模でのサービスが行われている。 実際に働いている部屋に通されると、年齢も障害の度合いも様々な人々がそれぞれが違った仕事をこなしており、ある人はアクセサリーを箱に詰め、ある人は値段のシールを張り、別の場所では洗濯はさみのプラスチック止め具と金属部分を合わせたり、宣伝用配布バッグの中にチラシを入れたりといった作業をしている。 担当者の方は、ここはあくまでも訓練を行っているところで仕事ができるようになれば、実際の工場などの仕事を紹介します。ということだそうだが、実際にはかなり年齢のいった人も多く、ここにとどまってしまっているようだ。 年をとったベンが仕事をしている様子を思い浮かべてみた。 それは、僕の人生の中では想像することの出来ない未来だったのだが、今になってそんなベンを見たみたいと思える自分に、昔感じた手がかりの無いように思えた不安は瞬く間に現実として進行していたことを知る。 「ああ、何とかしなければいけないな」と、焦る気持ちは高ぶるけれど、障害があってもそれは彼らの人生、それぞれが一番幸せに生きて行ける方法があるはずだ。そしてそれは、ベン自身が見つけるものなのだろう。 #
by gakuandben
| 2010-02-02 14:35
| 自閉症に関して
ベンにとって友達という存在はあるようなのだが、コミュニケーションのレベルからいっても友達を家に連れてくるまでの関係にまで発展しない。本当は友達との付き合いが大変なくらいの時期なのに、誕生会を家でするなどの特別な機会をつくらない限り互いの家を行き来することはないというのはきっとクラスの殆どの子がそうであろう。
ベンの弟は良く友達を連れてくる。小学校時代の友達を中心に近所の公園の遊び仲間があるらしく、それぞれ違う中学に通うのだが、いつも仲良く遊んでいる。 ベンにとって弟の友達は興味深い存在でもあり、同世代の子供がたくさん家に居るというのはベン一人では決して起こり得ない環境だった。会話をするでもなく、自分の部屋でインターネットに没頭するのだが、賑やかな雰囲気は感じ取っているのだろう。 狭いアパートで数人の少年がひしめき合い、ゲームなどをやっているのだが、そんな遊びに加わらないものの、兄としてベンの存在は常にある。そしてそれは、通常考えられる兄としての存在とは違い、遊びに来た友達にとっても不思議で奇妙な行動の多い「友達の兄」なのだ。 僕はそんなベンの弟にものすごく感謝している。というのもこの状況を自分に置き換えてみた時に果たして同じ事が出来ただろうかと思ってしまうからで、彼が兄の障害に対してあまりにも自然な状態で居られる事に尊敬の念を覚えるのだ。 確かに僕自身も隠し立てをする訳でなく、ベースの生徒がくればベンを紹介するし、リハーサルやレコーディングと家にはたくさんのミュージシャン達が頻繁にやってくる。しかしながら、彼の今の年齢を自分に照らし合わせて考えるとそれだけの平常心が保てるか自信がない。 弟はある時さらりと言った。「僕の兄は自閉症なんです」 家族を説明する時だったか、実際にベンが居た時だったか忘れてしまったが、あまりにも自然なので気にかける間も無いくらいのスピードで会話が流れる。 そんな調子で弟は兄のことを友達に説明しているのだろうか。遊びに来た友達も特に気にかける様子も無く、「ハロー」と言うベンに「ハイ、ベン」と返す。そして、ベンが独り言をつぶやいていようが、手を叩いていようが何の問題にもならないまま弟は友達との時間を楽しむわけで、そこには普通と違う何かを気にかけた様子はかけらも感じられないのだった。 物心ついた時から障害者とかかわってきた彼らには、障害者の立場を自然に伝える本当の底力があるように思えてならない。 #
by gakuandben
| 2009-11-28 15:55
| 自閉症に関して
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