ニューヨークでミュージシャンとして活躍する一面、自閉症の子供と向き合う現実との戦い
by gakuandben
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推薦文・プロフィール
タケカワユキヒデさんから推薦を頂きました!
 「自閉症の子供を持つ親が勇気づけられるだけでなく、自閉症のことをよく知らない人たちにとっても、とても意味のあるエッセイだと思います。
 また、生のニューヨーク事情も知ることもできる。なんとも、幾重にもお得な素晴らしいエッセイです。

プロフィール
高梨 ガク
64年東京生まれ。ベーシスト。18歳でプロ・デビュー後、90年に渡米。ソウル、ジャズ系の音楽を中心に幅広い音楽活動を続ける。ポリスターより自己のバンド
『d-vash』(ディバッシュ)”Music Is”が発売中。
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Giant Steps
そうか、それもそうだな。誰かが背中を押してくれなければ、怖くて踏み切れないことも、ドクターの意見なら心強い。今回の健康診断をきっかけに僕らはついにべんを一人で いつもの本屋に行かせるプランを遂行する事にした。

とは言うものの、週末がやって来て実際にその時が来ると決断をするのには勇気がいる。
ベンの勇気ではなく、行かせる側の勇気だけがたった最後に一つだけ繋がった糸だった。
当の本人は「I can walk outside by myself」と嬉しそうだ。

「OK、ベン。横断歩道では必ず車に注意を払って、信号が変わりそうになるときには交差点に入らない。
ストリートを歩いている時や本屋で独り言を言わない。わかったな!」と、僕は過去に何百回と確認したセリフをもう一度繰り返し、「Ok, dad」と全く同じ返事が返ってくるだなのだが、言ってみる事で不安な気持ちを抑え込もうとしていだけだった。

「I am going by myself」と嬉しそうに部屋を出るベン.

実は前回、一人で行かせるフリをして、いつもしていた尾行をかなり離れたところでしてはみたのだが、通りの向こうから見ていても事故を防げるわけでもなく,こちらの気が疲れるだけだった。もう出来る事はわかったのだから、ここは思い切り良く行かせてやれと自分に言い聞かせる。

家を出て10分も経たないうちに電話をしてみた。「ハイ、ベン。」「Hi dad」「すべて大丈夫か?今何処まで行った?」「81 street and two avenue」「2アベニュー? ああ、セカンドアベニューね」

まだ、アパートから5ブロックも離れていなかった。そうか、ベンは信号待ちをきっちりとするので、普通に歩くのの倍かかるのだ。

しばらくたってもう一度電話してみると、今度は丁度本屋に入る前だったので、独り言や、人に迷惑をかけないよう再度注意する。本屋は地下なのでこれで電話は4、50分の間通じなくなってしまう。

しかし、ここまでくると腹も据わるものであまり心配ではなくなり、生まれて以来初めて訪れた「ベンが家に居るのに離れて過ごす休日の時間」を不思議に感じはじめていた。

次に電話をしてみると、何回か圏外になった後、ようやく通じたのは別の店に入っていた後で、何事もなかったようにベンだけの時間は過ぎていったようである。その次に電話をしてみると、もう帰り道の途中で、10分ほどするとガチャリと鍵の音が聞こえアパートに戻ってきた。

「ベン、凄いな。良くやったぞ!」
「Dad, I'm home!」
誇らしげに聞こえるベンの声は、新たなるステップへの第一声だった。

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# by gakuandben | 2010-12-22 01:28 | 自閉症に関して
心の健康診断
ベンは生まれてからずっと近所のドクターで健康診断を受けている。
ベンの相談を最初にしたのも、自閉症の専門医を紹介してもらったのもその先生で、
夏の初めには、キャンプや学校にに提出する書類のために前々から予約をして年に一度は先生に会うことになる。

その予約はいつもベンの弟と一緒で、2人続けて診てもらい、先生と話すのは1回で済ませるようにしている。

今回もいつものように診断した順にベンについての話が始るのだが、じっとしていられない
本人は待合い室に戻り、僕と弟だけが診察室に残る。健康状態について説明の後、いつも日常生活についての話になるのだが、今回は 2人にとって子供から大人への橋を渡をするような話になった。


一人で出歩かせて良いものかと迷っていた僕に対して
「ベンは信号をきちんとまもれるなら、IDと携帯を持たせて行かせ
てみてもよいと思いますよ」

弟と顔を見合わせるが、先生も僕らが随分と前から一人歩きの練習をさせ
ているのを知っているので、澱みのない笑顔でそう言ってくれた。

「ベンの体と同じように心もどんどん成長していますから、
独立心も出て来たのだと思います。」

確かに、最近は本屋でも後ろをつきまとっていると、
どこかに行ってくれと言われる事が多くなった。

一通りベンの話が終わると今度は弟の方に話が移る。
こちらは、本人に直接話しをするのだが、体に関する注意が終わると
「さて、君は自閉症のお兄さんを持つ訳なんだが、それはどんな風に感じている?」
と質問される。

弟は、別段取り立てる事も無い受け答えをしていたが、笑顔でその受け答えを聞いていたドクターは確認をとるかのように、弟を見て言った。
「君に自閉症のお兄さんが居るということはこれからも決して変わる事が無い。ベンのことを理解しなければならない場面が沢山あるだろうけど、それはこれから君が一生かかわって行くことになんだよ。わかるね。」

弟はただ頷いて「OK」と答えていたが、僕はその先生の言葉を聴いて胸が一杯になってしまった。苦しい程にわかっている現実なのだが、実際に僕らよりも長くベンに関わるであろう弟にそれは全くその通りであることなのだが、家族以外の人から言ってもらえることが
一緒に聞いている僕にとって、とてつもなく大きな課題を与えられた運命のタイトルを聞かされるかのような気持ちにさせられたのだった。

そして、それはドクターという立場にある人が言う事によって、ポジティブな重みのある言葉となった。

年に一度のかけがえのない健康診断が終わり、僕らは夏に向かって行ったのだった。


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# by gakuandben | 2010-10-16 02:42 | 自閉症に関して
Sensory Integration Therapy
ベンの学校で「センサリー・インテグレーション・セラピー」というプログラムが始まった。既に行われている行動セラピーに加えて、自閉症の人が不快に感じる細やかな事項を個々に分析してゆき、問題行動の分析、改善に役立てようというものなのだが、先日、保護者面談の時に見せてもらったベンの結果がとても興味深い。

「あなたは、他人の声が不快に感じますか?」という問いにベンはYESと答えており、声が大きすぎるのが不快としている。なるほど、いつも命令したり、怒られたりする時に声が多きのが原因かもしれないが、どちらにせよ大声は彼にとって不快なものでしか無いことがわかる。

その他に、教室の明るさや、温度など感覚にまつわる細かいストレスを項目として挙げてゆき、それによって環境を合わせることや、自分で別の方法によって解決させる方法を見いださせるのがゴールだ。クラスの中でもそれぞれの子がそれぞれの不快感を挙げていて、自閉症という障害の多様性を感じさせられる。

ふと思ったのが、僕らにも何らかのストレスから逃れようとする方法はそれぞれ無意識に行われており、それは貧乏ゆすりであったり、深呼吸であったりと、いわゆる「普通」に見える行動なだけで、それが例えばベンにとっては胸を平手でバンバンと叩くといった「変な」行動になってしまっているように思えるのだった。

本屋への道のりで、目の前に手をかざしながらテクテクと歩くベンに後ろから「手を下ろして !」と声をかける。ストップや、Don't ではなく、ただ「手は下に」というかけ声でベンの手は普通の位置に戻った。

歩く事に興奮するのか、周りを歩く人にストレスを感じるのか、景色の移り変わりが楽しいのか、依然として必要最低限の会話をする以外のベンは、家の中でも外でも外界とのコミュ二ケーションはゼロに近い。まるでテープ・レコーダーが入っているかのように、映画や漫画のセリフやナレーションを繰り返すのも、自分で喋る音が刺激になっているのだろうか。

止められない行動をコントロールするのは誰にとっても難しく、今回のセラピーの話を 先生から聞いて、一番理解してあげなければならない親でさえ、理解に苦しむ行動を1つ1つ意味付けしてくれるかのような気持ちになり、一般の人から見て「変」に見えるベンの行動を少し楽に見ることが出来た。


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# by gakuandben | 2010-04-04 14:56 | 自閉症に関して
新年の抱負
「チェンジ」は使われすぎてちょっと安っぽい言葉になってしまったが、新年こそこのキーワードが何か良いことにつながる気持ちにさせてくれる。

と、言ってもジムに通い始めるといった、ニュー・イヤー・レゾリューション的なものではなく、敢えて習慣になっていることから抜け出してみるのが僕にとっての新年的抱負であり、そんなわけで目標もゴールも無い。結局、髪を短く切ってみたり、ベースの弦をいつもと違うものに変えてみたりといった程度のもので終わってしまう。

ベンとの事もそうだ。出会って16年、自閉症という障害に向き合って12年の年月が過ぎ、ぐるぐると回る停滞感を打ち破り次のステップに進むことの大変さは本当に実感させられた。それは、1つの問題をフォーカスして結果を見るといったものではなく全体が波打ってそれぞれに波及するような変化であり、それに伴って何かが進みはじめれば、ということ をいつも期待している。

しかし、実際のところは怠け心が何もかも後回しにしていることが多い。そんなわけで、今年はベンの将来についてもっと真剣に向き合ってみようと思う。

学校というシステムがあるのは、あと5年。21歳になると、ニューヨーク市のスペシャル・エデュケーションは終了するのでそれぞれ進路を見つけださなければならない。そんなわけで先週は早速、学校のカウンセラーの方と一緒に職業支援施設の見学会に行ってみた。

ダウンタウンにあるビル1つが全て施設になっているF.I.G.G.S.という職業訓練所。かなり大きな規模でのサービスが行われている。

実際に働いている部屋に通されると、年齢も障害の度合いも様々な人々がそれぞれが違った仕事をこなしており、ある人はアクセサリーを箱に詰め、ある人は値段のシールを張り、別の場所では洗濯はさみのプラスチック止め具と金属部分を合わせたり、宣伝用配布バッグの中にチラシを入れたりといった作業をしている。

担当者の方は、ここはあくまでも訓練を行っているところで仕事ができるようになれば、実際の工場などの仕事を紹介します。ということだそうだが、実際にはかなり年齢のいった人も多く、ここにとどまってしまっているようだ。

年をとったベンが仕事をしている様子を思い浮かべてみた。

それは、僕の人生の中では想像することの出来ない未来だったのだが、今になってそんなベンを見たみたいと思える自分に、昔感じた手がかりの無いように思えた不安は瞬く間に現実として進行していたことを知る。

「ああ、何とかしなければいけないな」と、焦る気持ちは高ぶるけれど、障害があってもそれは彼らの人生、それぞれが一番幸せに生きて行ける方法があるはずだ。そしてそれは、ベン自身が見つけるものなのだろう。f0097272_14345033.jpg
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# by gakuandben | 2010-02-02 14:35 | 自閉症に関して
ともだち
ベンにとって友達という存在はあるようなのだが、コミュニケーションのレベルからいっても友達を家に連れてくるまでの関係にまで発展しない。本当は友達との付き合いが大変なくらいの時期なのに、誕生会を家でするなどの特別な機会をつくらない限り互いの家を行き来することはないというのはきっとクラスの殆どの子がそうであろう。

ベンの弟は良く友達を連れてくる。小学校時代の友達を中心に近所の公園の遊び仲間があるらしく、それぞれ違う中学に通うのだが、いつも仲良く遊んでいる。

ベンにとって弟の友達は興味深い存在でもあり、同世代の子供がたくさん家に居るというのはベン一人では決して起こり得ない環境だった。会話をするでもなく、自分の部屋でインターネットに没頭するのだが、賑やかな雰囲気は感じ取っているのだろう。

狭いアパートで数人の少年がひしめき合い、ゲームなどをやっているのだが、そんな遊びに加わらないものの、兄としてベンの存在は常にある。そしてそれは、通常考えられる兄としての存在とは違い、遊びに来た友達にとっても不思議で奇妙な行動の多い「友達の兄」なのだ。

僕はそんなベンの弟にものすごく感謝している。というのもこの状況を自分に置き換えてみた時に果たして同じ事が出来ただろうかと思ってしまうからで、彼が兄の障害に対してあまりにも自然な状態で居られる事に尊敬の念を覚えるのだ。

確かに僕自身も隠し立てをする訳でなく、ベースの生徒がくればベンを紹介するし、リハーサルやレコーディングと家にはたくさんのミュージシャン達が頻繁にやってくる。しかしながら、彼の今の年齢を自分に照らし合わせて考えるとそれだけの平常心が保てるか自信がない。

弟はある時さらりと言った。「僕の兄は自閉症なんです」
家族を説明する時だったか、実際にベンが居た時だったか忘れてしまったが、あまりにも自然なので気にかける間も無いくらいのスピードで会話が流れる。

そんな調子で弟は兄のことを友達に説明しているのだろうか。遊びに来た友達も特に気にかける様子も無く、「ハロー」と言うベンに「ハイ、ベン」と返す。そして、ベンが独り言をつぶやいていようが、手を叩いていようが何の問題にもならないまま弟は友達との時間を楽しむわけで、そこには普通と違う何かを気にかけた様子はかけらも感じられないのだった。

物心ついた時から障害者とかかわってきた彼らには、障害者の立場を自然に伝える本当の底力があるように思えてならない。

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# by gakuandben | 2009-11-28 15:55 | 自閉症に関して
ガールフレンド
ベンの学校では、ボランティアの女子高校生が1対1で会話の練習をしてくれる授業がある。担任の先生によると、年頃の女の子達に会えるこの週に一度のクラスをベンは心待ちにしているそうなのだが、実際に会話のスキルも着実に身に付いているようで有り難い。

先日、このクラスでの会話の中でガール・フレンドの話になったそうなのだ。

「ベンにガール・フレンドはいるの?」

ベン「Yeah......」

「ベンのガール・フレンドは誰?」

ベン 「ジニア」(同じクラスの女の子)

「彼女とデートするの」

ベン 「Yeah, I go to the movie theater」

「へえー」

ベン「Oh, I take her to a bar before the movie, and have some drink」(おっと、映画の前にバーに連れて行って、ちょっと飲むんだ)

「....................」

映画やドラマで得た知識なのだろうか?バーに連れてゆくとはなかなかのものだ。
ベンに直接訊いてみると、確かにジニアのことはお気に入りで彼女は映画が好きなそうなのだ。

「ガール・フレンド」はどんな使われ方であれ、何とも魅力的な響きを持った言葉だ。

ベンの年齢である16歳は「ガール・フレンド」という言葉にどきどきしてしまう年だったなというのを思い出す。「おじさん」と呼ばれる年の人たちに「ガール・フレンド、いるの?」とひやかされたりすると、うれし恥ずかしい動揺をしてしまう年頃でもあった。

「そうか、ベン。凄いなあ、21歳になったらバーにも行けるし、それまでにナイスな会話が出来るように練習しておかないとな」

「Yeah, I go to a bar when I am 21 years old.....」とベン。

ガール・フレンドとバーに行ってからお気に入りの映画を観る夢。

ベンがデートをして帰ってきたなら、それは僕らにとっても本当に夢のように嬉しい事なのだろう。



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# by gakuandben | 2009-11-12 07:42 | 自閉症に関して
You've Got a Friend
夏の終わりに長年飼っていた猫が死に、寂しく感じていたところに新しい友達がやって来た。

「ラナ」はアニマル・シェルターに居た雑種の中型犬。履歴を見ると「生後15ヶ月のメス。捨てられた理由は前の飼い主の引っ越し先がペット禁止のアパートであることによるもの」という事だった。

以前から、犬を飼うことを考えてはいたのだが、享年19歳だった年老いた猫が居た事もあり、決して現実的ではなかった。しかし今回は、躊躇する理由は1つ無い。出会った時のインスピレーションを信じて手続きを済ませ、翌日避妊手術を施した後、引き取りに行くという段取りとなった。

たった一つの心配は、小さい頃から散歩している犬を避けて歩く程犬が嫌いだったベンだったが、犬を探す為にアニマル・シェルターを何度も訪れているうちにかなり慣れて来ているようではある。ただ、実際にアパートへ連れてくるとどうだろう? 家の中で飼うことになるので、怖がってしまうようでは問題だ。

そういった心配は興奮した時間が通り越し、あっという間に翌日の受け取り時刻がやって来た。付属の病院の方から出て来た「ラナ」は、まだ一度しか会ったことのない新しい飼い主に喜んで歩み寄ってくる。シェルターの人々に暖かく見送られ、用意しておいたた首輪とリードをつけ、車に乗せて連れて来た。

どたどたとアパートに入って来た「ラナ」は部屋中を嗅ぎ回り、家族それぞれを嗅ぎ終えると、手術で疲れていたのかくるりと丸くなって寝てしまった。この小さなアパートに中型犬は大きすぎるのでは思っていたのだが、犬というのはくるりと丸まると意外とスペースをとらないものなのだということもわかった。しかし、犬の存在感は猫の比ではない。家族の一員として生活の一部となってゆくであろうことを実感する。

ベンはいつもの感情の入らない言い方で、「I like dog…. LANA, I like you」と言い、怖がる様子はないのだが、近づいてきて飛びつかれてしまうと「Ahh…..Don’t Jump on me」と動揺してしまい、頭をなでるといった余裕は無いようだ。

翌日、僕は仕事が立て込んでいたこともあり、昼間から家を空けなければならない。「ラナ」は留守番することになるのだが、問題は最初にアパートに帰ってくるのがベンであるということだった。

まだ家族全員が犬に慣れていない状態で、犬が最も興奮する最初の帰宅の大役を授かったベン。玄関のドアから飛び出さないようにベビー用のゲートをセットし、ドアのそばに犬用ビスケットを備えてベンにそれを与えるように張り紙をしておいた。

ベンが帰る時刻、出先から恐る恐る電話をしてみると、何事も無いかのように「ハロー」とベンが出る。「ベン、ラナは大丈夫だったかい?」と訊くと、「Yeah…. I gave a cookie to LANA」と言い、さしたる問題も無い様子で通話を終えた。

2時間後に家に戻ってみると、ラナは慣れない家でやはりトイレがうまく出来なかったようで部屋のじゅうたんにおもらしがしてあったのだが、ベンには全く関係のない事のようで、いつものように自分の部屋で別世界を作り上げていた。

今のベンに動物をかわいがる気持があるのかどうかはまだ解らない。これからこの犬と暮らして行く年月の中で、そんな気持が育ってくれればと犬を見つめるのだった。
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# by gakuandben | 2009-10-25 17:00
立ち止まる時間
丁度去年の同じ時期にベンと手をつなぐ話があった。1年というものは本当にあっと言う間で、今僕らがチャレンジしているのはベンのひとり歩きだ。

ブログを読み返すと、その後に危険な交差点の話が出てくる。今もこれが一番の難関なのだが、どう対処しているかといえば、信号は確実に守り、注意を払いながら交差点を渡るという練習だ。

僕は黒子となり、5〜10メートル離れて追跡する。一年前のブログにあった、手たたきや、前方不注意に関しては随分と落ち着き、逆に一人で歩くことにより責任感がついたようにも思える。

昨日はユダヤ教の祭日なので、NYの公立校は全て休み。こういった持て余してしまう休日には少し離れた57丁目にある本屋まで歩いてゆくことにしている。

「ベン、本屋はどこにある?」
「59th Street」
「えっ、57丁目じゃなかったっけ?」
「57th Street」
「どこのアベニュー?」
「Ahh, 2nd Avenue」
「違うだろ?どのアベニュー?」
「3rd Avenue, Ahh, I don’t know… Oh, Park Avenue」

といったかなりいい加減なものなのだが、歩き出せば決して方向を間違えることは無い。ベンの住所に対する概念は未だに「あそこ」なのである。

時折、まだ体を叩いたり、独り言の度が過ぎてしまうこともあるが、大体の部分ではちゃんとアテンションを持って歩いている。交差点では信号を見て止まり、点滅している場合は注意して止まるか、横断中に点滅した場合は急いで渡るなど、上出来だ。渡る時も最初のうち僕の指示を仰いでいたのだが、自分の意思で横断するように言うと「Walk」と言って自分の意思決定で歩き出すようになった。

殆どの人が歩行者用信号を無視して歩いて行ってしまう交差点で、車が通り終えた後にもしばらく待ち続けることになるのだったが、どちらにしても一番安全な方法であることには間違いないので、信号が変わってから左折や右折の車にも注意して渡るように教えることで統一させている。

問題点は、この信号待ちの時間で、止まっているうちに気が散ってしまい、信号が青になっても気がつかないという点なのだ。景色に見とれていたり独り言を言ったりして、しばし自分の時間に浸ってしまう。

ベンの黒子になった僕もNYに来て始めてすべての歩行者信号を遵守することになったのだが、いざ立ち止まってみると今まで気づかなかった色々な景色や匂いに気づかされる。

仕込み中のレストランから美味しそうな肉の香りが、見上げたガラス張りのビルの中で働く人が、忙しそうにセルホンで喋る人の会話が、立ち止まってみるだけで随分と落ち着いて感じられて何だか楽しげだ。

おまけに、急いでいる人に追いついてしまうこともしばしばで、大した差もないようだ。
そうか、やっぱりベンは正しかったのか。
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# by gakuandben | 2009-09-30 03:06 | 自閉症に関して
焼き加減という知識
ベンと久しぶりにレストランに行くと、ウエイトレスが直接ベンに注文を訊くようになっていた。

体のサイズから見て、親に子供の注文もまとめて聞くという感じでは無くなったのだなと思いつつ、注文の進行を見守っていると、飲み物の注文から始まりきちんと的確に答えている。

ウエイトレス What would you like to drink ?

ベン Coca cola.

ウ What would you like to eat ?

べ Cheeseburger and French Fries.

ウ How would you like to cook ?

べ I want to cook サラミ・サンドウィッチ.

ウ ??? !   How would you like to cook your hamburger ?

べ I want to eat a hamburger.

ウ ????

となったところで助け舟を出したのだが、 「How would you like to cook ?」の質問は、予備知識が無いと難しい質問ではある。
実際に僕もこちらで始めてレストランに行ったとき答えに困ったのを覚えている。ちなみにサラミ・サンドイッチはベンの大好物で、いつも学校から戻った後自分で作って食べるスナックでもある。

「お肉の焼き加減は如何致しましょうか?」となれば、もっと具体的なのだが、「どう料理しますか?」といきなり訊かれても難しい質問ではある。

感心したのは、意味のはっきりとしない質問によどみなく答えている点で、これは想定外の質問にも何らかの解決の糸口を見出すきっかけになるだろうが、逆に意味の通らないまま
相手を納得させてしまう危険性もある。

僕らが助けに入ると同時にウエイトレスは「Medium、Rare、Well done ?」と具体的な選択肢を挙げてくれ、ベンは迷わずミディアムと答えたのだが、本当に意味を理解しているかは不明だ。

実際に料理して味の違いを感じさせるか、見た目だけでも写真で説明するのが一番なのだろうか。もっとも、訊かれるは良いが頼んでもその通りになっていないことが多いのも事実なのだった。
 
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# by gakuandben | 2009-08-13 13:50 | 自閉症に関して
Automated Answering Systemsの恐怖
アメリカの国民健康保険の問題はいつも選挙の切り札でありながら、なかなか実現しない事項の一つだろう。僕のようにフリーランサーの境遇にある人は医療保険を買うにも高くてまるで手が出ないのが現状だ。

フリーランスのファミリー向け保険は安いものでも月に600ドルは下らないのだから、たまらない。会社や組合に属していれば少しは負担が軽くはなるものの、給料から天引きされる金額は結構な額でもある。

とにかく高い保険料は、医療費自体が高いのに加え、薬の高騰、医師に対する訴訟問題も関係していると言われているが、保険を通さないで貰う請求書が1回の検診のみで300ドル、予防接種が1本125ドルというのもどうにかならないものかと考えてしまう。

幸い障害者には救済措置が在る為、ベンはすべての医療に関して基本的に無料である予定だったのだが、今回はちょっとややこしいことになってしまった。

ピーナッツ・アレルギー用の緊急注射器を購入するため処方箋をもらい薬局へ行くと、保険が下りないとコンピューター越しに知らされる。今まで問題の無かった手続きが何故か突然通らなくなったというのだ。

メディケイドと呼ばれるこの制度は市の運営する低所得者と高齢者、障害者のための保険なのだが、無料または殆ど無料に近いため医療費の節約に詐欺をしようとする人も多く、チェックが厳しいことからちょっとした手違いでストップされてしまうことがあるとはよく聞いていた。

今回は以前加入していた民間保険の情報が間違って登録されたことにより、公共の保険サービスがストップされてしまったケースで、これは民間の保険が最初に支払いをするという優先順位があるからなのだ。

解決には相当な努力と時間と運が必要なことは問題の起こった瞬間に感じていた。アメリカで生活をしたことのある人なら、誰でもわかってもらえる話だとは思うが、この国では「どうにもらちが開かない」ということが多々起こるのだ。つまり、誰も自分に関わる仕事ではないとして、たらい回しになってしまい、誰にも助けてもらえない状態がずっと続いてゆく。

まず、元の保険会社に電話をして、契約期間の証明書を取り、それを市の保健局に送るのだが、受理されたのかプロセスをしているのかもわからない。2週間が経ち電話をしてみても、相変わらずの自動音声対応で、生きた人間と喋ることさえ、不可能なのだ。ちなみに、この証明書を送るというプロセスも自動音声の案内によるものだった。

しびれを切らし、時間のあるときにいくつかの大きな病院に併設されている事務局へ行くと、そこでも上で書いたのと同じ電話番号を渡され「私たちにはどうにも出来ないのでここへ電話してください」といわれる。「これ、既に電話した番号なんですが」と言っても「らち」が開かずに渋々外へ出て電話をすると、何故かもう一つ書いてあった番号の方に生身の人間が出てくれるではないか。

結果はその場ですべてプロセスが行われ、その時点でサービスが有効になったわけだが、ただ待っているでけではいつになってもどうなるか判らないというのもまた正しいということも良くわかった。

早速薬局に行き、薬を受け取って何とか200ドルの支払いを避けることが出来た。

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# by gakuandben | 2009-08-07 02:42