ニューヨークでミュージシャンとして活躍する一面、自閉症の子供と向き合う現実との戦い
by gakuandben
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自閉症に関して
推薦文・プロフィール
タケカワユキヒデさんから推薦を頂きました!
 「自閉症の子供を持つ親が勇気づけられるだけでなく、自閉症のことをよく知らない人たちにとっても、とても意味のあるエッセイだと思います。
 また、生のニューヨーク事情も知ることもできる。なんとも、幾重にもお得な素晴らしいエッセイです。

プロフィール
高梨 ガク
64年東京生まれ。ベーシスト。18歳でプロ・デビュー後、90年に渡米。ソウル、ジャズ系の音楽を中心に幅広い音楽活動を続ける。ポリスターより自己のバンド
『d-vash』(ディバッシュ)”Music Is”が発売中。
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カテゴリ:自閉症に関して( 112 )
Clear Statement
「I don't want to」は最近ベンが良く使うストレートな表現だ。

それは言い訳でもなく、話し合いによる和解を求めるのでもなく、本当にそうしたくない事の表明で、これ以上の強い意思表示は無い。


学校で始まったギター・クラスのヘルプに行くと、皆がストロークの練習をしているところで、ベンだけひっくり返したギターを机代わりにして本を読んでいる。「ベン、ギターのクラスなんだからギターを弾かなきゃ駄目だよ」と言うと「I don't want to」。

夜の11時を回ってもまだコンピューターを消そうとしないベンに「ベン、明日は学校なんだから、もう寝なさい」と言えば「I don't want to」といった具合だ。

クリアである上にどうにも行き場の無い返答に、僕は反抗された事に対して怒る気持ちをしまい込み、以前クラスで習ったように声のトーンを変えることなく説明する。 

「今はギターのクラスで皆が協力して音を出さなくちゃいけないんだ。」「明日は学校があるから早く寝ないと起きれなくて学校に行けなくなるよ」

理由はともかく、嫌な物は嫌だという気持ちは誰にでもあるが、それを乗り切る自制心を何とか理解させなければならない。親や先生が怒るからという理由で言う事を聞かせることは、怒るという別の行為となってしまう。

文句と言うコミュニケーションの次には理解する作業が必要になり、ただ文句を言わせているわけにはいかなくなったという訳だ。

宿題をやり遂げたり、学校へ行くという事に対するこだわりがあるので助かってはいるが、学校生活はともかく、仕事をするには「I don't want to 」の連続だろう。「朝は7時に起きます」的なきっちりとした生活パターンが出来てくれれば良いのだが。

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           将来への不安を確実に感じさせる20度近い1月の小春日和
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by gakuandben | 2008-01-09 08:05 | 自閉症に関して
Quality of Life
「私が死んだ後に、家賃の支払いやトイレの世話は誰がやってくれるのかと思うと。どうすれば良いのか見当もつかないんです」

「持ち家なんですが、私が死んだ後に誰かが息子のためになるようにお金に変えてくれれば良いのですが」

真剣に自分の死んだ後の話をしているのは、皆障害児を持つ親たちだ。

ベンの学校で開かれたワーク・ショップは大手の生命保険会社であるメット・ライフが主催する障害者を持つ親に対してのもので、専門のスタッフがそれぞれのケースをもとに、障害者扶養に関する知識を深めるといったもの。

メット・ライフ・デスクという専門の部門があり、カウンセラーの半分以上が実際に障害児を持つ親、それ以外も障害者サービスに従事した経験のある方だそうで、親身になって解説してもらえるのも納得がいった。

講義の内容はトラスト・ファンド(信託基金)を作り障害者が受取人になるように設定することにより、衣食住をカバーする国からのベネフィットを受けながらも、賄えない部分である教育や、趣味、旅行などの経費を残すことが可能になるというもの。説明用のボードには「クオリティ・オブ・ライフ」と書かれ大きく赤丸で強調された。

ポイントになっているのは、単に銀行などにお金をセーブするだけでは所得と見なされてしまい、課税対象となるばかりか障害者ベネフィットも受けられなくなってしまう可能性があるという点。

信託にしておけば、親が死んでしまった後も決められた条件に見合った事由であれば、その時点での介護人が障害者の生活クオリティの向上の為のみにお金を引き出すことが出来るというわけだ。

メット・ライフがこのワーク・ショップを開く理由は、信託として残しておく財産に生命保険が好都合だからで、最後には「是非これを機会に生命保険に加入しましょう」となるわけなのだが、それにもかかわらず人助け的要素の強い気持ちにさせられるのは、カウンセラーの方の情熱が伝わってくるからなのだろう。

遺言を作っておく為の弁護士を紹介する機関や、18歳を超えても保護者でいるための書類の作成方法など、障害者の親がこれから直面してゆく問題に対する整然とした説明を聞きながら、僕はいつも心の中に抱えている将来に対する不安が和らいでゆくのを感じていた。

一生懸命に聞いていたお父さんが「knowledge is power」と一言。そこにいた誰もが、確かにその通りの気持ちになっていただろう。

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by gakuandben | 2007-12-18 01:48 | 自閉症に関して
Memories in Tube
YouTubeのお陰で、ありとあらゆる映像が思いつくままに見れるようになった。懐かしいミュージック・ビデオや動いたところを見た事も無かった伝説のミュージシャンと、頭の中の情報量は飛躍的に大きく膨らみ続けている。

当然のことながら、情報を絶えず受け入れていたいベンにとってこれほど楽しいものはない。あまりの興奮度合いに一時は禁止していた動画サイトだが、いつの間にかなしくずし的に見ても良いことになっており、今や完全にテレビにとって変わるものとなった。

いくらでも続けて見返すことのできるこのシステムを、自閉症のスピリットが放っておくはずも無く、彼らの好みも電話帳からテレビ、ビデオそしてユーチューブといった時代の流れととともに進化しているのが伺える。

そんなベンが最近見つけて見ているのが、赤ん坊の頃に毎日欠かさず見ていたビデオ、「キッズ・ソング」。何度も何度も巻き戻しては見ていた映像は、とびきりチージーな歌のお姉さんと子供たちが演技をしながら歌うというもので、曲はアメリカの幼稚園で歌われるもののオン・パレード。

「何故ベイビー・プログラムを見ているんだ?」と訊くと、「Ben loves memory」と答える。確かにベンは思い出好きで、アルバムやコンピューターにセーブしてある写真を見返してはにこにことして興奮したりしていることが良くあるのだ。

トイザラスに行っても、ベービートイの棚の前でおもちゃを楽しんでいる事も多く、「また、ベイビーに戻りたいのか?」と意地悪を言うと、「No, I am teenager!」と言い返してくる。

学校の先生に相談すると、「それは皆が普通に持っている感覚で、大人になったからという自覚によって隠しているだけなのでしょう私も今でもぬいぐるみが好きですよ」とおっしゃる。

もちろんこれは女の先生だが、男の僕でさえ、ぬいぐるみは可愛いし、確かに人からの見た目で好みをアジャストしているという事はあるだろう。特に子供の頃は、もう○年生だから○○をするのは恥ずかしいというのは良くあった。

見た目などは全く問題にしていないベンにとって、ベイビー・トイは未だに楽しいものであり、メモリーを呼び起こさせてくれるのは「キッズ・ソング」のビデオでもある。

「Home home on the range~」と声高らかに歌う14歳はちょっと居ないだろう。日本なら、「ウサギ追いしかの山〜」という事になるのだろうか、外で歌うとちょっと人目をひくが、どちらも良い曲だ。

という僕も、YouTubeで昔見たドラマを見つけて涙しているのだった。


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by gakuandben | 2007-12-05 15:56 | 自閉症に関して
Night Walker
子供にとっての夜の景色はそれだけでもエキサイティングなものなのだろう、夜の街で見る子供達は皆一様に生き生きとしている。ティーンの年代は夜の国への入り口で、友達と夜道を歩くだけでも大人な感じがしたものだ。

ベンも夜の街が大好きだ。きらきらと輝くサインや、ひんやりとした空気はベンの好きな物だらけなのだから無理もない。週末に仕事が無い夜は、ベンを「ナイト・ウォーク」に連れてゆく。

前回は、公園を通り過ぎてイースト・リバー沿いの高速道路を超えた遊歩道を歩いてみたのだが、夜に歩いてみると大人でさえかなりスリルのあるものだ。

同じ視線レベルで疾走してゆく車を右手に、左には真っ黒にうごめく川が迫る。アメリカにはこんなところに柵が無くても良いのかという場面に遭遇することが良くあるが、高速道路をまたぐ陸橋は川にせり出しているようで、階段の横には転落防止用の柵も無い。

ベンに近寄らないように声をかけると、「I don't want to die」と返事が帰ってきた。

真っ黒になって流れている川を眺めていると、治安の悪かった時代にはよく死体が流れて来たらしいと誰かが言っていたのを思い出し、見た人は本当に怖かっただろうと同情する。

それでも、新しい景色に感動したのかベンは家に戻る最中に「Dad, Thank you for doing night adventure trip」とお礼を言ってくれたのだった。

そんなナイト・ウォークに味をしめた僕は、自分の楽しみも兼ねて週末の夜のかけらを楽しみにゆく。

昨日は本屋にも行きたがっていたこともあり、夜11時まで開いているバーンズ・アンド・ノーブルスに歩いて行くことにした。

「ベン、ナイト・ウォークは危険だからな。酔っている人もいるし、ぶつかったりしたら大変なことになるから常に周りの人に注意して歩くんだぞ。」と言い聞かせ夜道を歩き出すと、いつものように手をちらつかせたり、不自然なアクションはあるものの、多少のコントロールの利いた歩き方だ。

街の光に照らされたベンは大人っぽく見えて、彼にもいつの日か友人と夜に外出したりすることもあれば良いなとふと考える。

土曜の夜の本屋は予想以上に盛況で、空いていたのは子供本のコーナーだけだったが、ベンなりに違った時間帯の本屋を楽しんでいたようだ。

床に座ったベンの前に「ウディ・アレンの本が欲しいのよ〜」とテンション高めに店員さんと話すおばさんが登場、僕は傍らで成り行きを静かに見守っていたが、おばさんの移動する先を邪魔する事も無く、うまくかわすことが出来た。

僕らには普通にある人との距離感も、こうした実際の経験から覚えさせないと、捉えることが難しく、平気で人にぶつかったり、場所を譲らなかったりすることがあるのだ。

帰り道は時間も遅くなり、あちこちのバーの前にはタバコを吸う人や、年齢確認のためのIDを出す人たちの列が出来たりして、賑やかな土曜日の夜は歩いているだけでも楽しい気分にさせてくれる。

僕らが通りがかったバーの前では、カップルが熱いキスを交わしていた。

ベンはすかさず「Man and woman kissing each other」と目の前の事実を言葉にしてしまう。ベンの正確極まりない注釈に、キスをしていた2人はパッと互いの口を離した。



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by gakuandben | 2007-11-19 14:55 | 自閉症に関して
Giant Steps
ベンは明日で14歳になる。 明日は僕の仕事で家族での誕生会には参加できないので、今日は妻がお寿司を作り、アフタースクールから帰ってくるのを待った。

9時近くになってやっと帰ってきたベンをアパートの前で待ち、ドアを開けると「ハッピー・バースデー」となるという簡単なものだが、実際にやってみると、「My birthday is tomorrow」と素っ気ない。

誕生日にはお気に入りのババガンプ・レストランに行くつもりなので、それを心配している節もある。どちらにしても当日には行く事が出来ないので別の日という事になるのだが、きっちりとした日付で誕生日を祝いたいというのが大切なようだ。

「弟には悪いけれど、誕生日はベンのが感慨深いわ」毎年のように妻がぽつりと言うが確かにその通りで、僕ら家族にとってベンは時計のような役をしていてくれているのかも知れない。

大きな文字盤でゆっくりと動く時計。普通なら早く動かさなければ誰かに追い越されてしまうところを、ベンの時計は自分のスピードを持ち好きなように動いてゆく。

1年の間に、どれだけの事が出来るようになっただろう? 意志の疎通がかなり出来るようになった反面、体が大きくなったことで、小さい頃なら問題の無かったことも今では大問題となる。ただ、時間の感覚がしっかりとして来た事で、予定する事や待つ事に対する辛抱強さ、小さな頃からの課題であった「待つ」ことができるようになってきた。

14年の歳月は、スローモーションのようではあるが、確実に進んでゆく時計だった。そしてそれは家族の時計にもなっていたのだ。


誕生日も近くなった先週、MTVの制作したTrue Lifeというシリーズの「I Have Autism」を見たのだが、そんな気持ちの僕に、突き刺さるような映像の連続で、涙を流さずにはいられない作品だ。

3人の自閉症少年にスポットを当てたドキュメント。特に喋る事が不自由なジェラミーの話は奇跡でもあり、多くの自閉症にかかわる人々を勇気づけるものになるだろう。

3歳で自閉症と診断された彼は、喋ることが出来ず15歳までさしたる変化は無かったのだが、ある時母親の示したアルファベットに反応して、文字を指で指しながら言葉を綴るようになる。
高校の特別学級に通っているのだが、いくつかの授業は普通学級の生徒と一緒に受けており、理解はしているのだが喋ることが出来ないという状態だった彼は、タイプした文章を音声に変換するマシンを学校に持ち込み、クラスメイトとコミュニケートしはじめるのだ。

友達が欲しいといったジェラミーにこれが高校時代最後のチャンスだと思った母親は、懸命にマシンの使い方を教え、今まで1度として開いた事のない誕生会を開くまでのドキュメント。本人はもちろん、厳しくも優しく、そして淡々とした語り口である母親の力強さにも圧倒された。

エンディングの無いドキュメントは、「ああ、ここにも必死で生きてゆこうとしている人がいるんだ」という現在進行形のエネルギーを注入してもらえてような気がする。

そして、ベンにもいつか自分の意志でパーティーを開くことが出来る日が来るのを願わずにはいられない。

同じビデオに登場するサバン症候群を持つ画家の少年が、「自閉症でありたくない。普通のティーンは自閉症でないから」と答えると、父親が息子を抱き寄せた。

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by gakuandben | 2007-10-31 02:31 | 自閉症に関して
Priority Seating
もうハロウィンが近いというのに、夏の終わりのような夕方、ベンと僕はネクタイをしめてパーティーに向かった。

半年以上前にボランティアで参加した、自閉症、ダウン症者の為の指導用ビデオは、障害者特有の問題を親がどう対処するかをケースごとに実際に演じて解説してゆくもの。

ベンと僕はいくつかのシーンに協力させてもらい、今日はそのビデオの完成記念のパーティーに招待して頂いたのだ。

少し遅れて到着すると、もう試写会が始まっていた。会場となった会議室は入り口に赤じゅうたんが敷かれ、オスカー賞の授賞式風に飾り付けがしてある。ベンは拍手で迎えられた。

ビデオを見てゆくと、ほとんどの出演者は障害者本人とその親、親の方はYAIという制作者である障害者支援団体の方が代役することもあるのだが、実際のケースに沿ったやり取りはとてもリアルで、障害者を持つ親なら誰もが共感できるものだろう。

僕はこの撮影に協力出来た事をあらためて感謝しつつ、自分の英語の発音がしっかりと出来ているかどうかを心配しながら登場を待った。

「待たせ方のストラテジー」という項目でいきなり登場した僕ら2人は、ベンの自由奔放な演技で笑いを取る。続いて僕の台詞は異様に固い喋りで、高校の英語の先生を思い出させた。

本来、笑うためのものでも映画でも無いので、内容がしっかり伝わっていれば良いという点においては、良く出来た方だろう。映画好きなベンも出演者となれた事に満足しているようだった。

しかしながら、他のシーンで活躍する親たちの役者ぶりには頭が下がる。
僕が撮影時に苦労したように、相手がうまく喋ってくれなかったり、テンポがずれたりするのをうまくかわしているのだ。

これも毎日の生活で築き上げられた度胸のようにも感じられ、そんな意味でも同じ問題を抱える者同士が、苦労をわかち合うようなひとときとなった。みんなの笑いの片隅には、それぞれの経験と、苦労の涙が流れていたのだろう。

最後には授賞式と銘打って、子供達にプラスチックのブロンズ像が渡される。トイザラスのギフト・カードまでプレゼントされ、像の台座には名前まで印刷してあった。「ベン、ギフト・カードで何を買うの?」スタップの人に質問されて、ちょっと考えたベンは「Oh, No, Don't ask that question,please」と、またしても失礼な受け答え。しかし、これも迷うことで混乱するのを嫌う、自閉症特有の表現でもあった。

帰りの地下鉄で、ブロンズ像を取り出し目に近づけて反射させるベン。前に座って見ている僕は、そんな瞬間を一緒に過ごせる事を有り難いと思った。




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by gakuandben | 2007-10-25 02:48 | 自閉症に関して
脳で描く人たち
パーティでの演奏は、僕ら一般のミュージシャンにとって大事な収入源のひとつで、マネージメントがつくほどの知名度のある人以外は、パーティ・コーディネーターからの依頼や、個人的なつながりで何らかのパーティ・ギグをこなしている。

あらゆるジャンルの音楽にわたって雇われるパーティーでの生演奏。結婚式などでは、ガーデン・セレモニーで弦楽四重奏、カクテル・アワーでジャズ・トリオ、ディナーとダンスにはホーン・セクション入り10ピースのロック・バンドなどというゴージャスな展開なものも多い。

行く場所により服装にも指示があり、セレブや要人が集まるようなパーティでは休憩時間にロビーで座ってくつろぐことも出来なかったりもすれば、まるで自分もパーティーに招待されているかのような錯覚におちいってしまうほどのゆるいものまで様々だ。

そんな中、よく仕事をさせて頂くのがファンド・レイザーと呼ばれるパーティ。団体の活動資金を集める為のもので、オークションであったり、出席者のディナーの代金に寄付が含まれていたりといったものなのだが、豪華な雰囲気を出すためか同時に生演奏が入る事が多い。

アートやスポーツの団体、学校など寄付によって支えられている機関にとって大事な収入の機会となる行事なのだが、先週末の仕事はニュージャージーでの絵画オークション。

奇麗に展示された絵画の前には入札表が置かれ、それぞれの入札額を書いてゆく。演奏を一時中断して、ビデオ・プロジェクターでこの団体の活動報告を見る時間となって、会場に車椅子の方たちが多いのがわかった。

A.R.T.という名のこの団体は、脳性麻痺や自閉症で体が不自由になった方の為のアート学校を開いており、今回はその作品の展示販売会兼、寄付金を集めるためのパーティーだった。

喋ることや、体を動かすことが困難なために、レーザービームを頭や手につけてキャンバスにトレースする。それをアシスタントのアーティストが同時に描いてゆくといったものなのだ。

創設者であるティムさんは、活動報告の挨拶でアートの持つ可能性を語り、その下りである自閉症の生徒の話をしてくれた。

私は生徒である彼女に、どの方法が良いか聞いたんです。「レーザー?それともブラシが持てるならブラシにする?」すると彼女ははっきりと「レーザー」と答えた。後で介護士と話をしていると、「えっ?彼女は喋れないはずですが」と言うんです。


たくさんの障害者の親御さんたちが、作品を前に誇らしげに見える。ベンより少し年上の女の子。車椅子の上でパーティのために着飾った金色の靴が落ちてしまうのを、妹が何度も拾い上げた。

発想の勢いが違う。自分の手で描かなければいけないと思うところで終わってしまいそうなところを、本人の意志で指定させることにより乗り越える。自らもアーティストであるティムの情熱と行動力に敬服したのだが、宴の最後にもっと驚くべきことを知る。

上映された映像は5年以上前のもので、その後、彼は徐々に視力を失う病気となり、現在は完全に視力を失っているとの事。あまりに自然な振る舞いに全く気づかなかったのだが、年老いた父親が小枝を持って、その枝につかまりながら歩いていたのだった。

アーティストとして、不自由な人を助けた自らが不自由なアーティストとなる。どんな気持ちの葛藤があっただろう?

間違いなく言えるのは、彼にはすべてが見えているということだった。それは本当に目で見えるものよりもずっと深いものであるに違いない。




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by gakuandben | 2007-10-18 02:28 | 自閉症に関して
I can't tell you why
うちのブロックには、僕が引っ越して来る前からいつも居たと思われるホームレスの男性がいる。

黒人で50歳過ぎと思われる年齢の彼は、どういうわけかほとんど毎日このストリート、それもファーストとセカンド・アベニューの間に表れ、寝ていたり、酒を飲んでいたりして過ごしていて、夜になって姿を消すこともあれば、アパートの入り口で寝ていたりして、時々警察官に取り囲まれたりしているのを見る。

間違いなく精神的な病気を抱えており、時々叫んだり、怒鳴ったりするのだが、人に危害を加えることはなく、この近所の人なら誰もが知っている存在だ。時に、もの凄くひどい状態になっていて、もう死んでしまうかなと思う位の時もあれば、何故かスーツを着ていたり、80年代風の女性ファッションに身を包んでいたりもするのだった。

毎朝、ベンはアパート前のポーチで一人でスクール・バスを待つ。もちろん、ずっと座っている事が出来る訳が無く、30メートル位の距離を行ったり来たりしているのだが、僕らの心配していたベンの知らない人に対する会話は、この人に向かってしまった。

普段僕らに対しては大人しく、ハイと言えば一応の返事はしてくれるこの男性、ベンに対しては勝手が違ったようだ。

ベンが子供だったからなのか、手を叩いたり、独り言を言うのが勘にさわったのか、「Hi Man」と言ったベンに対して怒り始めてしまったのだ。

ベンの声と男性の怒る声、さらに1階洗濯屋さんのティミの叫び声で、騒動をアパート窓越し聞きつけた僕は、慌てて外に飛び出した。

ベンは涙を目に浮かべ、ポーチに座っており「I said Hi to the man」と言う。いつもの泣き顔とは違う表情をしていて、かなり怖かったのが伺える。男性の姿は既になく、捨てゼリフを言い残してどこかに行ってしまったようだ。

洗濯屋さんのティミが怒鳴ったのは、男の人がベンの前に来て大声を上げたからで、それでもベンは「Hi man 」と言い続けていたそうだ。

ベンは人がハッピーで無い事を気にするので、自分の言った事で男の人が怒ってしまった事を、自分の中で許せなかったのだろう。

僕はさすがにベンにどう説明したら良いかもわからず「ベン、人によってはハイと言って欲しく無い人もいるんだよ」と言うのが精一杯だった。


夜になって事件を妻に話していると、「それが、外交的になったベンに一番心配な事だったわ」と言う。確かにどんな人がいるかわからないこの街で、下手に声を掛けたりすれば逆上して怒り出す人が居ないとも限らない。

フレンドリーに振る舞おうとするベンにとっては、何ともやるせない話ではあるが、それを見分けられるまで、挨拶をするのは知っている人だけに限らせるのが良さそうだ。
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by gakuandben | 2007-09-11 14:06 | 自閉症に関して
会話の中身
夏休み最後の週末は、旅行に行ける訳でもなかったので新学期に備えてキッチンを整理しようと思い立ち、組み立て家具の店IKEAに行った。

何故、新学期に備えてキッチンなのかというのは、最近子供達が自分で簡単なスナックを作ったりすることが増えてきたためで、電子レンジやトースターなどを安全な位置に移動しようというプランだったのだ。

しかし家具屋に行くと、やはり同じ様な事を考えていた人が集合したようで、順路に沿っての買い物はまるで新年お宮参りのようになってしまっている。こちらの9月は日本の4月のように、フレッシュ・スタートの月なのだ。

こうなってしまうと、何から何まで並びつくさなければならない。家具をオーダーするのにも、受け取るのにも、お金を支払うのにも20分近く待つのは当たり前といった状況。それでも、IKEAのスタッフは素晴らしい研修を受けているようで、他店の状況に比べたら遥かに手際が良い方なのだ。

ベンも数年前なら、人ごみという状況だけでコントロールを失い、買い物などとても付き合える状況では無く、すぐに帰っていたのだが、最近は少しでも聞き分けがあり、何とかなるようになったので買い物を強行する。

途中、ベンはお腹が空いてしまい、妻に買い物を任せてホットドッグを買いに行った。しかしながら、ここも当然長蛇の列。並んでいる間にべンはあちこちと動き回る。人に当たったりしないかと心配だが、それでも文句を言わずに待てる様になったのは本当に助かる。手を叩いたり、くるくると回ったり、何とか迷惑にならない程度にしていてくれれば、こういった騒がしい場所で待つ事はさしたる問題ではなくなってきた。

ところが、今回はちょっと様子が違う。列の先頭の方を見ると、ホット・ドックを作っている店員さんに、何やらベンが話しかけているではないか。

遠すぎて何を話しているのかはわからないのだが、何やらホット・ドッグを指差して会話をしている。店員さんの表情はあまり変わっていなかったので問題は無さそうだが、距離が遠すぎてベンを呼ぶにも呼べない状況だったのだ。

ホット・ドックを食べながら、「ベン、さっきは何を話していたんだ?」と聞くと、どうやら言いたくは無いようで、話をはぐらかすのだが、最近のベンは積極的で、自分から見ず知らずの他人に喋ることがある。本屋で人が邪魔な時にも「Excuse me, Man」とかなり失礼に割り込んだりもするのだ。

買い物が終わり、僕が商品受け取りに並んでいる間に、今度は妻がアイスクリームを買うためにベンと列に並んだ。すると彼女曰く、またしてもベンは店員さんにコップを指差して何か話していたというのだ。

理にかなわない質問はいつもの事だが、知らない人はびっくりしてしまうだろう。車の中でベンの聞くと、「IKEAカップは100ドルだ。」などと言うのでもう一度「店員さんは何と言ったんだ?」と聞くと、「カップは1ドルよ」と言われたと言う。

僕らは「..........」となってしまい、どう推理して良いのかわからなくなってしまったのだが、他人との会話という新項目が出て来たことは間違いなさそうだ。


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by gakuandben | 2007-09-04 14:00 | 自閉症に関して
Stop or Walk
一人でどこかへ出歩いてもらえたら、と心から思うのはいつもこの時期だ。サマー・スクールが終わってしまってから3週間、毎日の予定もどうにもつぶしの利かない状態が訪れる。

実はベンだけではなく弟の方も、毎日どこかへ連れて行ってもらえる状態が当たり前になってしまっていて、ベンと一緒になって「今日はどこへ行くんだ?」と始まる。

ただ、今年になってから弟の方は近所の仲の良い元クラスメイトと、公園に行ってくれたりお互いの家で遊んだりしてくれるようになった。だが、これも今年になってから始まったことで、去年まではこうした友達との交流というのも断ち切れてしまうのが夏休みだった。

大多数が共働きの家庭であるマンハッタンに住む子供達の夏休みは、殆どがデイ・キャンプに費やされているのもうなづける。だから、逆に何も予定の無い日を探すのが難しいくらいに子供は忙しかったりもする。

最近は子供にちょっとした運動をさせるトレーナーの人も公園で見かけるようになった。

ラジオ体操に行ってから夏休みの宿題をやって、午後は自転車で意味も無く走り続けていた自分の思い出からは考えられないほどの情報と物に溢れ、スポーツをする事にさえもお金を払わなければいけない。

ベンは友人もおらず、一人で行動することが出来ないので大変ではあるが、本質的な部分はどの子供も抱えている問題なのだろう。

先週はパスポートの申請に48丁目まで歩いた。NYでは歩行者の信号無視は当たり前で、殆どの人が歩道からせり出して渡るチャンスをうかがっている。車が途切れたり、来なければ素早く渡ってしまうのだが、交差点の横断を一人で出来る様にするために1つ1つの信号をきっちり守ってゆく。

ところが、歩行者信号が青になると、車の信号も青になるため左折や右折の車が横断歩道を通過することになり、これが逆に危険だったりする。日本の様に歩行者が渡ろうとしていたら、待ってくれるなどということは無く、チャンスがあれば車の方も歩行者より先に行こうとするのが当たり前なのだ。

だから歩行者信号が青でも、絶対的信頼のある横断が出来る事は無く、曲がって来る車の事を注意しながら横断することになるのだが、これは自閉症者にとって大きな問題だ。

信号は横断して良いと言っているのに、車が入ってくるので注意しなければならない。おまけに歩行者信号は赤なのに、車が来なければ人波は横断歩道をつき進み、一人だけ信号に従って止まれば倒されてしまいそうだ。

ベンは「STOP」と言って立ち止まり、待っている。待っている間は他の事を考えているようで、僕らの様に車の来る方向を見ていたり、信号を見つめていたりはしないのだ。そして、ふと気付いたように信号を見て「WALK」と言って渡り出す。

すべてが正しく、ベンは交差点を横断出来るのだが、そこには侵入してくる車に対する注意が必要なのだった。これは人との距離や、関係を把握するのと似た技能のように思え、あの磁石のような感覚はベンにはまだ難しい分野でもあった。

一人で出歩くのが一番困難な街で、長いチャレンジは続く。

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by gakuandben | 2007-08-29 15:15 | 自閉症に関して