ニューヨークでミュージシャンとして活躍する一面、自閉症の子供と向き合う現実との戦い
by gakuandben
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タケカワユキヒデさんから推薦を頂きました!
 「自閉症の子供を持つ親が勇気づけられるだけでなく、自閉症のことをよく知らない人たちにとっても、とても意味のあるエッセイだと思います。
 また、生のニューヨーク事情も知ることもできる。なんとも、幾重にもお得な素晴らしいエッセイです。

プロフィール
高梨 ガク
64年東京生まれ。ベーシスト。18歳でプロ・デビュー後、90年に渡米。ソウル、ジャズ系の音楽を中心に幅広い音楽活動を続ける。ポリスターより自己のバンド
『d-vash』(ディバッシュ)”Music Is”が発売中。
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Do you feel it ?
ベンは叩くことが好きだ。とにかく何でも叩く。コンピューターをやっている時は、興奮してキーボードやマウスを叩いた拍子に壊してしまった事もある程だし、壁や机はともかく、鏡や窓ガラスなどの危険なものまで叩いてしまうことがあるので注意しなければいけない。

これは、手から来る刺激を音を感情とシンクロさせているようにも見えて、よくおばさんが、笑う時に手を叩いているのや、お祭りの時などにおみこしを担ぐ人が「よっしゃあ」というかけ声とともに体をパンパンはたく行為と同じ種類のもののようにも思える。ただ、ベンの場合はそれが継続し、チック状態になって止める事が出来ないようだ。

実際にベンも叩くものが無い時には自分の胸を叩いていて、これが結構な音量と、ビート感があるので驚かされることもある。しかしながら、街中を歩く時にはただの騒音と奇妙な行動となってしまい、人ならず犬に驚かれて吠えたてられるなんていうこともしばしばある。

さらには、物だけに収まらず人に対してまで、軽く叩いてしまったり、触ってしまったり、といった問題もあって、一度土曜日に通っているリクリエーションセンターの友達に思い切り叩き返されるという自業自得な事件もあった。

叩くことで、悪い事ばかりが引き起こされるのを何とか出来ないかと思い立ったのが、パーカッションを叩かせることだった。

2、3年程前にコンガを買ってみるところから始まった、正当に叩ける楽器。叩く為に作られている物なので、誰にも文句は言われない。手近なところに置いてみると、時折ボコボコと叩いている。リズムを教えると、すぐにキャッチして同じ事が出来た。

そうか、自閉症の特徴はオウム返しだったなと再認識させられ色々と試してみると、微妙な音符の違いやグルーブもかなり正確にマネができているではないか。

今年になってから、ドラムセットを格安で譲ってもらえるチャンスがあったので、思い切って買った。小さなアパートでドラムを練習する場所があるはずも無く、アパートの管理人さんに頼み込んで地下にある部屋の隅に置かせてもらえることになったのだった。

それから、週に2、3回のペースでドラムを叩くベン。最初はうるさいだけ状態から、最近は段々と色々なパターンを叩けるようになってきた。

パターンを教えると、あまり真剣に聞いておらず、相変わらず体を叩いたり、独り言を言ったりしているのだが、ある時点で突然「Daddy,Can I try ?」と言って僕からスティックを奪い取ると、コンピューターがダウンロードを完了したかのように、急に真顔になり、覚えたての記憶をドラムで再現しようとする。

間違えながらも、段々と自分のビートにしてゆく様は本当に頼もしく思えて、嬉しい瞬間なのだが、本人の中で「出来た」という確認ができると、すぐにピタリとやめてしまう。だから、集中している時間は1回2分弱。これを、5、6回くり返して、終わりというパターンで20分程度は持たせることが出来る。

僕はこのレッスンが、ベンの社会性へつながってゆけば、という気持ちでいっぱいだ。何故なら、一緒に演奏するということは、まさに他と協調することの基本で、テンポを早くしたり遅くしたりして他人に合わせる耳を持つための練習も欠かさない。

今日はベンのお気に入りのミュージカル、ジャージーボーイズの挿入歌「Sherry」のパターンをやってみた。ボン、タ、ボボン、ボン、タボボン。結構出来るようになったところでベンに歌を頼むと、あの裏声で「シェ〜リ〜、シェリベイべ」と歌い出す。

楽器をやる人ならわかる感覚だと思うけれど、あの、楽器を演奏する時に感じる体中に血液が躍動するかのような感覚が、ベンにも感じられているような気がしてならない。
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by gakuandben | 2006-09-28 13:36 | 自閉症に関して
違いのわかる男
「Retarded」は正確には「知恵おくれ」で障害の名称だが、日本で子供達が使う「キチガイ」に近い使われ方をしているようだ。だから、下の子は学校でみんなが、「Retarded」を連発するのに対して抵抗がある。

「僕はベンがいるからそういう人の事がわかっているけど、みんなは何にも知らずにバカの代名詞として使っているんだ。」

5年生の子供に障害者の認識というのは確かに難しいだろうが、兄に障害者を持つ弟にとっては、当然の意見でもある。

「障害者はなりたくて、なったんじゃ無いってことを教えてやりなよ」と僕が言うと、どうやらそれ以前から、彼は自分の兄がそういった問題を抱えている事を友達に教えているらしい。

「ベンを見たことのある友達に、僕の兄は自閉症なんだよと言ったら、みんな何のことだかわからずに居たよ。」と言う。

勇気のある奴だなと思った。少なくとも僕よりもずっと強い。何故なら僕は今まで出来る限り、ベンを隠そうとしていたからだ。もし、僕が小学校5年で同じ立場にあったとしたら、こんな事が言えるだろうか。

最初のうちは、説明するのも辛いくらいだったが、次第にわかってもらおうとする気持ちが出てくる。それでも、見ず知らずや初対面の人、仕事で会う人に対してまでそういった情報を伝えるのはなかなか心が疲れるもので、何となく本能的に隠す方向に向かうといった結果となる。

そこにある事実を正確に見つめる弟にとって、隠すなどというアイディアすらも存在しないのかもしれない。だから、家にベース・レッスンの子がやって来ても、僕は同じ年頃で「知恵おくれ」であるベンの存在にハラハラしてしまうのだが、彼の態度はは堂々としたものだ。

そんな態度が影響するのか、ベンが不自然な行動をとっても、どの子も次第に気にかける様子もなくなってくる。こういった概念は逆に子供の方がフレキシブルなのだろう。

幼い頃に公園の砂場で露骨に気持ち悪がられたベン。きっと多くの障害児を持つ親御さんが幾度となく経験している場面だろう。

「あなた方にとって異常でも、僕らにとっては普通なんですよ」
ベンの弟がごく自然に取っている行動は、こんな風に聞こえてくる。そして、公園で心をしぼませている親御さんへ伝えたい。



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by gakuandben | 2006-09-21 02:06 | 自閉症に関して
大人な時間
小学生から中学生になる時に嬉しかったのを覚えている。詰め襟学生服が着れるというのもあるし、何だか急に大人になれたような感じがして、初登校前夜は良く眠れなかったくらいに興奮していた。

ベンも中学生の歳を迎えて、同じプログラムだが、違う場所にある学校に通う事になった。ベンの通うプログラムはマンハッタン中の公立校の校舎の一部を間借りしているので、年齢によって行く場所が変わるのだ。

今度の学校は、数あるロケーションのなかで一番大きな施設をもったハイスクールの中にある。ジュリア・リッチマン・ハイスクールはシアター・アーツに力を入れている高校で、大きな講堂や、ダンスのスタジオなどもある。ベンも学校のイベントでアート関係のショーがあると必ず来ていたので知っていたのだろう。学校が始まるのが近づいてくると、「Daddy, I am going to high school」と言い出した。

勝手にに高校生になることに決めていたようで、「I’m teenager」を連発している。やはり、僕と同じ様に、行く学校も変わって、大人っぽい気分なんだろうと理解していたが、それに加えて、何故か「チャプター・ブックを読まなければならない」と言い出した。

チャプター・ブックというのは、要するに、チャプター(目次)のある本で、絵本ではなく、文章中心の本。学校では、絵本と区別するために、小学校に入る頃からチャプター・ブックを読む宿題があったりする。ベンは自分もティーンになったのだから、そうしなければならないと思ったようだ。

こうしてベンの夜の「朗読の時間」は始まった。コンピューターを消さなければならない10時になると、ベッドに入り声を出して読んで行く。最初に選んだのは、日本でも翻訳されている、「がんばれヘンリー君」。「ベン、声を出して読まなくっても良いんだよ!」と教えても、それは許されないようで、一字一句を読み上げてゆく。

1つのチャプターを読み上げると、「Daddy, I finished to read a chapter book, I am going to sleep」と言いにきて、一日の予定が終了する。
2段ベッドの上に寝ている弟も最初はうるさがっていたが、次第に慣れて勝手に寝る様になった。

「これは良い習慣になってくれたな」と、ほくそ笑んでいたのもつかの間、読んでいるうちに誤って寝てしまってチャプターを読み切れなかった場合に怒り出すという問題が出て来た。

それは、朝起きて学校に行く前だったり、夜中だったりするわけなのだが、こちらとしては何も世話してあげることも出来ないので、ベン本人の意向として「チャプターを全て読み切りたいならそうしなさい。でも、別に出来なければ無理しないで良いんだよ」と言っている。

自閉症者の「こだわり」は、悪い方へ作用すると大変な問題になってしまうけれど、うまく良い方向に転化出来れば逆に大きな可能性を秘めた力になるんじゃないかと僕はいつも思っていた。

思い起こせば、ベンがアメリカ育ちなのにひらがなやカタカナ、1年生の漢字までは読む事が出来るのは、日本から買って来たひらがなボードや漢字カードが家にあったからで、無理に教えた覚えは全くない。これを覚えるのはベンの意向による「こだわり」だったのだ。

下の子は同じ環境にありながら、日本語はほとんど読めない。無理に教えなかったし、興味も示さなかった。どちらにとっても、「普通」にしていただけなのだけど、「こだわり」のお陰でベンは下の子よりも日本語が理解できる。

もともと天才である、自閉症(サバン症候群)の方たちもいるが、そういったケースでなくとも、芸術、スポーツなどの習い事にこの「こだわり」がうまく作用すれば、もっと彼らの才能を引き出すことができるのではないかと、考えはやまない。

夜中の3時に寝ている僕のところへ来たベンは、チャプターを読み切れなかったと半ベソをかいている。「本はなくならないし、また明日読めばいいんだからもう寝なさい」とベッドに戻すと、部屋から本を読む声が聞こえて来た。






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by gakuandben | 2006-09-15 02:07 | 自閉症に関して
Dance to the Peace
子供達の学校が始まってみると、それはそれで色々な手間がある。特に学期の始まりは、数々の提出書類があり、その殆どに自分の名前と住所、電話番号、そしてサインを書着込むことになる。

これだけコンピューターも発達しているのだから、こういう所でデータ管理の威力を発揮してもらいたいものだが、そういうわけにも行かずに手書きのスタイルの書類になってしまうのは、子供を撮影した写真に対する肖像権に至るまで、親の許可が必要となる訴訟社会への対応が背景にある。

特にベンの場合、ピーナッツ・アレルギーを持っているので、もしもアレルギー反応が出た場合の薬の飲ませ方や、学校での応急処置への対応までもが明記されている書類にサインをしておかなければならない。

そんなの、そちらで判断して薬を飲ませるなり、病院に送るなりして下さいと思うのだが、宗教上の理由により、輸血がダメなどといった場合もあるのだろう。

とにかく2人合わせて10枚を超える書類にサインをし終わり、子供達の新学期はスタートしたわけなのだが、同時に宿題も始まり、昨日は早速、下の子の算数の宿題で質問の意味がしっかりと理解できずに2人で頭を抱えてしまった。

会話や普段使っている読み書きは、期待されている文章や会話が多いと違い、宿題の質問というのは以外に細かい部分を読み落とすことで大変な勘違いになってしまうことがよくある。ウチの場合は親も英語に弱い訳で、こうした質問は悩みの種だ。

体に悪そうなスクール・ランチや、体育の時間が少ないこと、公立のくせにやたらと寄付金を強要される事など、不満もあるが、気に入っている点も多く、今までの経験からスコアを付けるとすれば8/10というところだろう。

気に入った点の1つとして一番なのが、アート系プログラムで、シアターやダンス、ブラスバンド(これは有志)などの授業が課外活動ではなく、普通の授業として組み込まれているところ。

映画、「マッド・ホット・ボールルーム」はそんな授業の一部としてNY市のプログラムに取り入れられたボールルーム・ダンスのクラスをテーマに競技大会に出場してゆくまでの経緯を綴ったドキュメンタリー。

先日始めて見たが、今の公立小学校を生に感じられるとても素晴らしい映画だった。ドキュメンタリーが、まるでストーリーがあるかのように展開してゆく作りも、暖かみのある映像と、生徒達の純粋さがあってこそのものだっただろう。

同時進行してゆく子供達の放課後の様子が興味深く、アジア系の住む地域の子、ヒスパニック、白人、そしてアフリカン・アメリカンとそれぞれのライフスタイルが感じとれる。

印象的だったのは、宗教上の理由でダンスをすることが出来ず、DJの係になっていた子供がいたところ。ところが嫌々やらされているのではなく、インタビューされて答える様も本当に自然なもので、混在する異文化がうまくやっていけそうな一筋の光が見えた様にも感じられた。

この映画でダンスをしている子供達を見ていると、NYという街自体が世界中の人達が理解し合うための、モデル・ケースになることが出来ないものだろうかと真剣に考えてしまう。

違った文化を理解して、互いに尊重し合える教育、さらには、障害などの違った境遇にある人を理解できるようなやさしさにつながってゆけばどんなに素晴らしいことか。

学校のアメリカ人の父兄が僕に言った。「モスリムはクレイジーだ。教典で他の宗教を認めずに殺せと教えているんだ。だから、こんな事になったんだ。俺は子供をモスリムの家庭の子とは遊ばせない。」

下の子が去年同じクラスだった親友は、サウジ・アラビアから来ていた医学留学生の息子さんだった。何度か家に遊びに行かせてもらった彼のお母さんは、頭にスカーフをかぶった典型的なルックス。でも、子供の目には何の前情報もなければ、そういったルックスというだけだ。

宗教を持つ人達は、そのシステムの中での家族関係、生い立ちがあるわけだから、そんなに簡単にはいかないだろうが、他の宗教を尊重することは不可能ではない筈だ。

僕はそのお父さんに、「あなたが考えるのは自由ですが、子供には押し付けないでくださいね」と言ってやりたかった。せっかくの交流が、大人の先入観を吹き込まれることによって台無しになってしまうのが、ほとんどのケースで、結果として人種間のあつれきへとつながってゆく。

学校はそういうことを、取り除いてゆくことを一生懸命やっているのがわかる。こうしたアートのプログラムも、何よりも他を理解する為の大きな手助けになっていることに間違いない。



明日で9/11から5年が経つ。





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Tavern on the Green Central Park / NYC 
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by gakuandben | 2006-09-11 13:03
Chedder Cheese Toast
ついに待望の学校再開となり、幸せの限り。日本で育った僕にはどう考えても長過ぎるアメリカの夏休みがついに終わった。前半はキャンプやサマースクールで乗り切ったものの、登校日などというものも一切無い、ストレート約70日間の休みは、まるで終わりそうな曲が終わらないような感覚で、特に最後の1週は天気が悪かったこともあり、外に連れ出すこともままならず、終わらなそうな曲がやっと終わるというのに、エンディングで失敗してしまうという状態だった。

実質的に1日中子供が家にいたのは3週間ちょっとなのだが、昼ご飯の支度というのも頭が痛いことの一つだった。食べ盛りの年齢ということもあり、量も必要だし、適当にごまかすと、2時間後にはお腹がすいたと言い出し、3時のおやつなどでは到底夕食まで持たすことは出来ない。おまけに家にいるといつでも食べるチャンスがあると思って、やたらと食べたがるというのも問題だ。

そんな「食いしん坊万歳」な状況下で子供達が身につけたのは、自分で作って食べること。弟の方は以前からトーストを焼いたり、バターを塗ったりといった簡単な支度は出来たのだが、今回は何とベンまでもが、好物のチェダー・チーズ・トーストを自分で作れるようになったのだった。(チーズはチェダー・チーズでないと気に入らない)

僕の部屋で何かしらの作業をしていると、すぐに離れられない事が多く、子供達の方も食事を頼んだところでスグに貰える可能性が少ないことを経験上知っていることから、ついに「食事を作って良いか?」と聞いてくるようになったというわけだ。

食欲を満たすための努力というのは、原始の時代から人間の本能として備わっているものなのか、食事を作ることに関して教えると、真剣に聞くし、忘れない。ベンは食パンの上にきれいにシュレッド・チーズを敷いてトースターに入れる。

焼き上がって取り出す時にも、やけどをしない様に慎重だ。ベンは外に出ると周りを見ていないようでハラハラさせられるのだが、交差点の前ではピタリと止まる。どうやらベンの危機管理はギリギリの部分でのツボを押さえたもののようで、本当に熱かったりする危険が目の前にある場合の目は普段では見た事もない程に真剣だ。

出来上がったチーズ・トーストと、氷を入れたカップに注いだダイエット・コークで立派なスナックの出来上がり。これで、天然果汁のジュースなんかが一緒だったら、お子様の健康スナックメニューとしてママ雑誌に載っていても遜色の無い程の出来映えだ。

弟の方は中級レベルまで進んで、キッチン・タイマーを使ってゆで卵を作れるようになり、調子に乗ってコーヒーの作り方まで教えると、豆を挽くところから手順通りにきちんと覚えてくれて、次の朝起きるとデスクの上にコーヒーが置いてあった。

子供が生まれてから世話ばかりしてきたように思っていたけれど、気が付けば自分が世話されていることにも気づく。人間は助け合う生き物なんだなと思う瞬間。親子に限らず、小さい子供は年長者が助け、年長者は成人した子供に助けられ、障害のある人は、ない人に助けられる。

誰かを助けるのが生き甲斐になる人がたくさんいる。

子供が出かけたあとの静かな部屋で、一人でチーズ・トーストを作ってみた。


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by gakuandben | 2006-09-07 12:22
砂かぶりの感激
ベンには悪いけど、もう一つの夏休みの約束だったミュージカル「レント」には下の子とだけ行くことにした。前回のミュージカルでちょっと心配な部分があったことと、ロト・チケットに挑戦してみようと思ったのが最大の理由。

ロト・チケットは「レント」の作者、ジョナサン・ラーソンがこのミュージカルを始める時からのアイディアで、安い値段の席を設けて誰にでも平等に楽しんでもらう為に、開演2時間前にチケットを20ドルで売り出すというもの。

DVDになった映画バージョンのインタビュー見て、この事を知った時は、きっと最後尾の列でお客の入らなかった席を売り出す程度のものだろうと考えていたのだが、ホーム・ページで調べてみると、毎公演必ずあって、さらに何とそれは最前2列の34席ということがわかった。

最後尾専門のベンにとって、これはかなり都合の悪い事で、現実的に間違い無く不可能な席。そして抽選は一人に対して2枚のチケットなので、3人以上行くためには2人一緒に当たらなければならないというのも不可能に近い。

抽選に申し込む為に5時半に劇場に行き、カードに名前を書き込む。ボックス・オフィスの人に聞いた時には、50パーセントの確率と言われたが、それはかなり楽観的な見方であることが申し込む人の多さでわかる。「ダメなら、見ないでも良いということだな」と思いつつ待っていると、6時になり不公平の無いようみんなの見ている前で、劇場スタッフが箱からカードを引き出す。

60人程の登録者から10人以上の当選者が出て、あきらめかけていた頃に「ガク・タカナシ」と名前を呼ばれる。当選者に対してみんなが拍手をしてくれるのが何とも嬉しい。2枚分のチケットを買い、すぐに家に戻った。

ベンには仕事に行くと行ってウソをついた。弟はそれに付いて行くということで、ごまかしたけど、それでもやはり「Can I go with you ?」ということになってしまう。どこか楽しい所に行く気配には本当に敏感なのだ。母親が夕食の準備を始めてくれたので、それに気をとられているうちに家を飛び出した。

こういう時にはいつも罪悪感と自分への問いかけが頭を駆け巡る。「平等にしてあげなければ可哀想なんじゃないか?」だけど、こんな時は自分の経験から、パフォーマーとそれに対して真剣に対価を払っている聴衆の方々に対するリスペクトという観点から考えることにしている。

やはり、静かにすべき状況で静かにする事が出来ない人は、特別な状況が用意されている以外は行くべきでは無いと思うし、それは健常者でも障害者でも同じ尺度で考えての話。例えば赤ちゃんや子供でも静かに出来ない可能性がある場合は連れてゆかないのと同じ事だ。しかし、逆に出来る状況にある場合は積極的にするべきだと思う。

先日読み終えたマイルス・デイビスの自伝の中に、こころを打たれる一節があった。音楽的、精神的に燃焼し尽くして5年間一度もトランペットを触らなかったマイルスが、やっと立ち直った復帰コンサートでの、最前列にいた車椅子の観客について触れている。マイルスは言葉を発することも、手足を動かすことも自由に出来ないその観客が手を差し伸べて、トランペットに触った時に、すべての事を忘れて泣き出したくなったそうだ。「彼の目には、音楽を深く理解している輝きがあった」とも綴っていて、波乱の人生を送って来たマイルスの大きな転機になった出来事だったに違いない。

こんな話のように、パフォーマーにエネルギーを与えられるようなチャンスがあれば、お互いにとってすばらしい経験になるだろう。

唾が飛んでくるほどの近い距離から見た「レント」はアンサンブルの場面で出演者全員の動きや表情を、首を動かして見渡さないといけないという難点はあったものの、逆に遠くからではわからないマイクを通さない声や、ステージでの音、そして何よりも驚かされたのは涙のシーンで、役者さんたちが本当に涙を流しながら歌っていることだった。

ミミ役の女優さんは、エンジェルが死んでしまう場面の歌ではきれいな一筋の涙を流し、その後、アンサンブルで加わる他の役者さんたちも涙を流していたのだった。彼らの役への入り込み方は相当なものであるだろうし、それを殆ど1週間、毎日のように演じているのだから本当に感心させられる。

演技、踊りもさることながら、出演者全員、歌も上手で、マルチなエンターテイメントのアート・フォームとしてのエネルギーは、ミュージシャンである僕にとってもすばらしい勉強になった。

次回は最後列の席を取って、絶対にベンを連れてゆこう。
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これがラッキー・チケット!
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by gakuandben | 2006-09-04 09:39