ニューヨークでミュージシャンとして活躍する一面、自閉症の子供と向き合う現実との戦い
by gakuandben
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タケカワユキヒデさんから推薦を頂きました!
 「自閉症の子供を持つ親が勇気づけられるだけでなく、自閉症のことをよく知らない人たちにとっても、とても意味のあるエッセイだと思います。
 また、生のニューヨーク事情も知ることもできる。なんとも、幾重にもお得な素晴らしいエッセイです。

プロフィール
高梨 ガク
64年東京生まれ。ベーシスト。18歳でプロ・デビュー後、90年に渡米。ソウル、ジャズ系の音楽を中心に幅広い音楽活動を続ける。ポリスターより自己のバンド
『d-vash』(ディバッシュ)”Music Is”が発売中。
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僕はどうすれば良いのか?
僕はベンの事が好きだ。ベンはどう思っているのかはわからないが、子供と親のつながりというのは、親の方が強く信じていることが多いのもこの年になるとよくわかる。

例えば、ある子は親に忠誠して家業を継ぎ、年老いた父は目を細めて息子の活躍を見守る。対して、親に反対するかのように自分の道を歩く子もいるのだが、僕には、そのどちらも正しいと思える。

僕はことごとく親を裏切っていたので、そうでない人を批難することなど全く出来ない立場なのだが、親の注ぐ情熱がどういう形で子供に反映されるのかは何の法則も無いのだろう。

僕は、ベンにどうしてもらいたいのか?

「人様に迷惑をかけるような人間だけにはなりなさんなよ」というのは、年老いたお母さんが放浪息子にかける言葉の定番ではあるが、自分とのつながりの中で最後に望むものはきっとそれだけだろう。


アメリカの公立学校にある1週間の中冬休みは、いつも直前まで忘れてしまうほど唐突な休みで、自分のスケージュールの関係と子供の世話で大変な1週間となってしまうことが多い。今回はその休みに合わせた「子供向け音楽ショー」の仕事が2日連続であったので2人の子供を連れて行く事にした。

車で1時間ほどの所にあるロング・アイランド・チルドレン・ミュージアムでトータル4時間の仕事に付き合ってもらうわけだが、実際の演奏時間は45分が2回だけなので、どちらかと言えば、その間の時間をどうするかが問題となってくる。

ショーの間、ベンは大人しく座っていることができるようになった。不意に手を叩いたりすることも無く、隣に座っている弟がたまに叩かれる程度のものだったから、基本的に家族以外には迷惑をかけなかったといえるだろう。

1回目のショーと2回目のショーの間にミュージアムを見学し、ショップを見たりするのだが、来場者の殆どが幼児であることもあり、この場面で目を離す事はできない。

時折興奮して走り出してしまったり、手を叩いたり、着ているTシャツをめくり上げたりしてしまう程度なのだが、体の大きいベンが他の子供とぶつかったりしたら大変だ。自閉症者が公共の場所に行くというのは、普段の理解された空間に居るのとは全く違った大きな挑戦になる。何か突然の変化が起きる可能性もあるだろうし、これからも、自立の度合いのステージにおいて、注意しなければならないポイントがたくさんあるのだろう。

家や外出先で僕がうるさく言うのをベンは本当に嫌がっているようなのだが、これはやはり「人の迷惑にならない」という親としてのギリギリの情熱が僕をそうさせてしまうのだ。本来そこには「障害児であっても」というラインが前につけ足されるのであって、たとえ問題があっても受け入れられるべきところでは受け入れられるのではあるが、何とか自分と同じ社会の中に入ってもらいたいという願いは、僕が親としてベンを信じる気持ちからなのかも知れない。

それは、難しい算数が出来る様になったり、ドラムが叩けるようになるのよりも遥かに大事な事であって、施設や学校などの寛容される環境以外の一般社会への対応の鍵となる。

自閉症者は、体の不自由な障害者とは違い、外見からわからない部分が多いことも、一般社会の中で認識される事の難しさなのだろう。赤の他人にとっては「自閉症」と書いてあるバッジでも胸につけていない限り、そのまま迷惑な人として通り過ぎてしまう。

だから、人の迷惑にならないのは一般社会で生きて行くための最低限の切符のようなもので、僕はベンにその切符を何とか手にして欲しい気持ちで一杯なのだ。ヘルプを受ける事も出来るし、理解ある環境の中で幸せに生きて行くことも出来るのは知ってはいるが、境界線の部分にいる彼を何とかこっち側に持って来れないものか。

昨日は図書館に行った。図書館には制約が多いのだが、あえて静かにしなければならない環境の中に行く事で、たくさんの注意をする事が出来る。

監視の目が増えることからか、夜に僕が仕事に行くのを心待ちにしているベン。机を叩いたりしているのを注意すると「ポリス、ガク」などと言って不機嫌になるのだが、ポリスで結構。口うるさいお父さんという役をまっとうしようじゃないか!




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by gakuandben | 2007-02-25 16:49 | 自閉症に関して
みんなのおかあさん
子供達の居なくなった教室で、ベンの担任の先生とお話することが出来た。学校に直接行くというのは、こういったチャンスがあるのも有り難い。やはり、電話での会話からは感じとれない学校でのベンの生活や、微妙な変化が見えて来る。

この学校自体が、「いつ、どんな時に親が学校に様子を見に行っても良い」という点を保護者に公約していることもあり、いつでも、親の来校を歓迎してくれる雰囲気が整っており、逆に「ベンに関わっている他の先生とも話をしますか?」と勧められる程。

担任のミス・ジェファーは。社会性や協調性の部分での問題が多いベンが、高機能のクラスに居る事により、他の生徒から独りよがりな行動を注意されたり、会話を正されたりしていることお話してくれた。

それは、まさに僕がいつも望んでいた親が注意するよりも圧倒的に効果的なベンの社会性を広げるための環境なのだった。

ミス・ジェニファーは、ベンも大好きなチャーミングな先生なのだが、その情熱には強い信念がある。その経験を安定と捉えるのでなく、常に新しい可能性を吸収しようとする感覚は、僕らミュージシャンにも通じる尊敬すべき姿勢だ。

さらに、驚くべきことに現在臨月で、「あと、4日で出産予定日なんです」と笑顔で言われた。第二子だそうだが、5月にはこの学校に戻り、障害者教育を続けてゆくという事。

僕はベンと出会うまでは、障害者の世話をするという事など、頭の片隅にも無い人間だったこともあり、純粋にそういった考えを持てる人を本当に羨ましく思う。テレビの特番で知った、司馬遼太郎の「21世紀に生きる君たちへ」の話を思い出し、きれいな心を努力して掴んだ人なのだなと思った。

ベンのこだわり行動の話となり、ミス・ジェニファーは、ベンが人を叩く様に触ってしまう癖を直す為に、一切触ってはいけないことにしたことをお話してくれた。これは、スキン・シップが日常的なアメリカの習慣では、結構大変なことなのだが、はっきりとした境界線が無いもので理解が難しいと判断した結果だそうだ。

そしてクラスでもう一人、同じタイプの癖のあるアレックスの場合は、女性の髪を撫でてしまうというものだった。これに対しても、ミス・ジェニファーは一体を切触らせないことにした。

「彼らには少し冷たいかと思うのですが、これが一番良い方法だと思うんです」と言いながら、実はアレックスはお母さんを亡くしていて、彼はそのお母さんの髪を撫でるのが大好きだったという背景をお話してくださった。大きな体をして、いつも明るくフレンドリーなアレックス。亡くなっていったお母さんや、世話をするお父さんの事などを思い、涙ぐむ。

「色々な仕事があるけれども、この仕事は大変な分だけエモーショナルな瞬間が返ってくると思うんです」と、よどみなく言いきるその姿は、これから生まれようとする赤ちゃんを育てて行く母ととしての女性の強さにも通じる責任感に溢れていて、本当に頼もしく思えた。

いつもの事ながら、障害者自身からはもちろんの事、当事者以外で携わる方からのお話も本当に学ぶところが多い。障害者たちに希望をあたえるみんなのお母さんは、今頃新しい赤ちゃんを授かっている事と思う。


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   数日後にはクラスのみんなから、手作りのサンキュー・カードが届きました。
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by gakuandben | 2007-02-15 23:49 | 自閉症に関して
音葉の力
先学期に続き、今年もベンの学校にベースを使ったエンターテイメントをしに行って来た。クラスでも、ワークショップでも、レクチャーでもなく、ただベースという楽器をネタに音楽の楽しさを伝えられればということで、自分ではシンプルに「ショー」と思っている。

今回はベンも良く知っている、僕の親友であるピアニストのリチャードが参加してくれたので、かなり本格的なショーとなり、始めから皆が楽しんでくれている手応えがある。

当初はベンのクラスと、もう一つの比較的に高機能の子たちのクラスが集まる予定だったのだが、重度の障害を持つ子供達のクラスも一緒に参加する事になった。

リチャードの楽器説明の後に、早速ベースを使って、音楽の種類を説明してみた。するとヒップ・ホップのビートをベースで弾くや否や、近くに座っていた子がラップを歌い始める。

「今日朝起きて、学校に来ると先生がおはようと言った」などといった日記的な詞をその場で作り上げ、ビートに乗せてゆく。アフリカン・アメリカンである彼は、持ち前のルズム感をあます事無く発揮するその姿は、DNAというものの存在をはっきりと感じさせられる素晴らしい瞬間となった。

続いてクラス担任でありながら、音楽の授業も担当されている先生が、子供達と練習していた、「What a wonderful world」を皆で合唱、クラス・ルームは音楽のエネルギーで一杯になってゆく。

今回のショーで大きな収穫だったのが、重度の自閉症児たちの反応。ロッキング(体を前後、左右に揺さぶる)が収まらない子も、笑顔で僕らの前で揺れ続ける。僕の目に、その様子はどんな人よりも心から音楽を楽しんでいる姿に映った。

最後は、前回と同じ様に一人づつベースを触ってもらう事になり、それぞれ、自分なりの方法で持ち弾いてみるのだが、皆、説明する必要も無いほどにしっかりと楽器を持ち、弦を弾く。2人のアシスタントの先生に付き添われた子は、糸巻きやボリュームつまみなどのあらゆるパーツをいじってみるが、最後には弦を弾いて音を出す事が出来た。「Good Job !, Good Job !」付き添いの先生方と共に拍手をする。

後から先生方から伺ったお話で、ロッキングの激しい子と、アシスタントの付いた子は、言葉を使わないという事を知ったのだったが、そのお話を聞くまでは、(いや、その後も)言葉を使うかどうかを知る必要も無く、僕は何の問題も無く心の底から彼らと会話していた。

先生方でさえ、重度の子供達と一緒に行うのは無理と思われていた、「音楽」のショーは何の障害も無く彼らにアクセスして行くことが出来、改めて音楽という言葉の素晴らしさに気付かされる出来事となった。


さて、肝心のベンはどうしていたかと言うと、期待に対する興奮を表現するために、僕が来るまでの間は落ち着かなかったようだが、実際に登場した途端、急に大人しくなり、ショーの終わりまで逆に存在が希薄に感じる程に大人しく座っている事が出来た。最近のベンはこういった事が多く、プレゼントを待っていたりする際の期待による興奮のコントロールが出来ない代わりに、期待が達成された後に急に大人しくなるという傾向がある。

ベンの中での期待がきちんと具体化したことによる安定感なのか、こだわりへの不安が解消された結果なのか、また一つ興味深く見守って行きたい事柄だ。

予定されていた1時間はあっという間に過ぎ、子供達は皆、興奮冷めやらぬ状態で、それぞれに歌を口ずさみながら次のクラスへと移動していった。

続く



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by gakuandben | 2007-02-12 23:04 | 自閉症に関して
世界に一つだけの子供
ベンから僕が学んだ大きなものの一つに、人それぞれの幸せというのがある。

大人になって、立派な職業に就いたり、お金をたくさん稼いだりすることが幸せであり、男性なら家族と暮らす家を持ち、女性は結婚して子供に恵まれるというのが、カウンターの後ろにあるショーケースの中に飾られてみんなが羨む「幸せ」なのだろうが、ベンと出会った僕にはとって、そういう幸せは1つの種類ということになったのだった。

親はそう願って子供を育てる。「息子には日本語も英語も両方理解できるようなバイリンガルになってもらいたいんです。」「この子は才能があって、バイオリンを習ってるんですが、ベースにも興味があるので始めさせようと思って」「サッカーが好きでJリーグに入ってもらうのが夢なんです」。僕も、普通なら間違えなくそう考えただろうし、それが子供の幸せのためになると信じ、そこには成功というゴールがある。

実際にベンが生まれた頃には、色々と期待したものだ。もちろん始めは元気なら良いと思ったのだが、元気であるのに慣れてくると、今度は色々な才能を引き出してやりたいと思うようになる。どんな親でも普通に持つ、子供に対するあたりまえの夢。4歳の時点で自閉症であることがわかってから、そんな気持ちを切り替えるのはちょっと時間がかかった。もしかすると悲しく落ち込んでしまったのも、ベンのためではなく、ベンに対する自分の期待のためだったのかも知れない。

今日はベンの通う学校のモニタリングがあった。市の教育課が学校の実態を調査するというもので、親からの意見を聞く為の参考人として出席することになった。

一般の学校と異なり、全員がスクールバスでの登校の為、送り迎えが無いことで親同士が顔を会わせることはとても少ない。こうして会合に参加すると、ありとあらゆる状況の中で、それぞれに違った障害を持つ子供が生活しているのが身近に感じとれる。

あるお母さんは2人の自閉症児を持ち、この学校の先生に救われた思いがしたことを語り、別のお母さんは息子さんがこの学校を卒業して大学に進学したという話をしてくれた。もちろん、絵文字を使ってコミュニケーションを取る重度の自閉症児の母親も参加している。

そんな中では、誰一人として他の子供と自分の子供を比較したり、照らし合わせたりする考え方をしている親はおらず、それぞれの方法で我が子が幸せになってもらいたいと心の底から願っているのだ。

一人一人の持っている障害や特徴が、それぞれに幸せになる種になっていて、それにはそれぞれのゴールがある。僕ら障害児の親は、一般の親が子供に期待する幸せを求めることが出来ない代わりに、何かとても大切なスピリットを手に入れることが出来た。


あれから12年がたって、今はっきりとベンに期待するのは、大人になって少しでも人のためになる仕事ができるようになること。何でもない真っ白な紙に書いた期待は、色のついた期待を全部削ぎ落とした親の気持ちだ。そんな期待ができるだけでも、有り難い。期待できることの有り難さを知って、毎日少しずつでも進んでゆけば、道はひらけると信じたい。


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そんな事を考えつつ、夜に演奏で行ったお金持ちの人達のパーティーを見渡すと、同じゴールを持った人達がみんな同じ顔に見えた。
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by gakuandben | 2007-02-08 01:09 | 自閉症に関して
ほめ過ぎの顛末
「お願いです。このオーディションには私の人生がかかっているんです。もう一度やらせて下さい。私のファミリーの名誉のためにも何とか合格しないといけないんです」歌い終わるや否や、教会でのミサのようにひざまづいて審査員に訴える。

昨日観た人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」での1シーン。20歳の彼女はダンサー/シンガーだった母親を持ち、4歳の頃から歌のレッスンをしていたそうだ。

辛口審査員のサイモン・カウエルは「No way」と厳しく一言。もう一度との嘆願にも、「何度やっても審査は変わりません」とはねつける。人情味のあるポーラ・アブドゥルも「あなたには、もっと上手になる時間がたくさん残されているわ」と優しくも、現実を冷静に判断するようにうながす。

最後にはお母さんまで登場し、娘をなだめて退室するというものだったが、本人は全く納得がいかないようで、取り乱している姿が映されていた。

デーィン・マーチンのバック・コーラス/シンガーだったというお母さんは美しく、自分の夢を娘に託した典型的なステージ・ママに見える。ディーン・マーチンと言えば、シナトラ、サミー・デイビス・ジュニアと並ぶアメリカ3大男性ボーカルの一人。一見しただけでも当時のスーパー・スターのステージに立っていた雰囲気の伝わって来る風貌だ。

僕がこのシーンを観て考えてしまったのは、娘にそこまで言わせてしまった親の責任。残念ながら誰が見ても良いとは思えないパフォーマンスを披露してまでも、他人の審査を覆すのも辞さない自信は一体どうやって育まれてしまったのかということだ。

アメリカには褒めるカルチャーがある。日本はどちらかと言えばあまり褒めないカルチャーだろう。「100点をとったよお母さん」「そう、偉いわね。でも次のテストで気を抜いちゃだめよ」とたしなめるやりとりはとても普通な光景だ。

こちらのお母さんはとにかく本当にいちいち子供を褒める。「Oh, sweet heart, you did great job, You are the best, I know you can do it.」もちろん例外もあるだろうけど、基本的にマシンガンのように褒めまくる。

すごく良い事だと思うし、言われた本人も嬉しそうだ。ただ褒めてしまうだけで、その後のフォローが無い親の場合、特に芸事に関してはこの点が大問題になってしまう。子供は親に褒められたいがために、本質を見失うほどに褒められることに一生懸命になってしまうようにも見える。

言われた側は小さな世界の中で夢を見てしまうことになり、自信をつけるのだが、その先に待ち受ける大海に海のもくずと化してしまう。だから、いくら親であっても冷静に判断して、自分の評価として褒めるべきで、常にそれ以外の評価がある事を教えてあげなかったのが、今回のような例だろう。

「人にはそれぞれに意見があるので、どうしようも無い事があるんだよ」というのを何となくわかっているかどうかはとても大事で、スポーツなどでのように決定的に打ちのめされることの無い分、芸術の部分でははっきりとしない部分が多いだけに認識するのも難しいだろう。

親の方にも信じる気持ちが強すぎて、正確な判断力を無くしてしまっていることも多く、頑張れば何とかなるという考え方になってしまうようだが、芸術は勉強と違い、がむしゃらにやれば良いというもので無いのが大変なところで、才能というものは引き出される部分はあっても、大半の部分は時間をかけて育まれて行くものなのだった。

褒めるのが良い悪いというのではなく、コントロールが効いているかどうかが問題で、うまく子供本人がハッピーになれる芸術を身につけてもらいたいものだ。もともと芸術に順位など無いのだから。


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あらゆる手段で有名になろうとするという意味では、 今回の顛末でさえ茶番だったのかも知れないなとも思ってしまう。
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by gakuandben | 2007-02-02 09:35