ニューヨークでミュージシャンとして活躍する一面、自閉症の子供と向き合う現実との戦い
by gakuandben
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自閉症に関して
推薦文・プロフィール
タケカワユキヒデさんから推薦を頂きました!
 「自閉症の子供を持つ親が勇気づけられるだけでなく、自閉症のことをよく知らない人たちにとっても、とても意味のあるエッセイだと思います。
 また、生のニューヨーク事情も知ることもできる。なんとも、幾重にもお得な素晴らしいエッセイです。

プロフィール
高梨 ガク
64年東京生まれ。ベーシスト。18歳でプロ・デビュー後、90年に渡米。ソウル、ジャズ系の音楽を中心に幅広い音楽活動を続ける。ポリスターより自己のバンド
『d-vash』(ディバッシュ)”Music Is”が発売中。
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Rebel Without a Cause
テレビドラマに登場する自閉症者は、きちんと型通りの生活をして、パニックを起こさない限りは物静かな人物であることが多い。

これも1つのタイプなので決して間違ってはいないのだが、自閉症者のイメージとして一般の人が持つのは恐らく殆どがこういったレインマン的なものだろう。

もっともレインマンは特定の分野に限って天才的な能力を持つ「サバン症候群」なので、自閉症といってもさらに稀にみるグループになる。自閉症に起因するという説もあるが、高機能自閉症者なら誰もがそういった能力を持っているかのように勘違いされている場合も多いのだ。

さて、ベンはどうかというと前途した記述に全くそぐわない自閉症のタイプで、
簡単にいうと自由奔放型とでも名付けようか? 形式めいた事もするにはするが、意外にフレキシブルで絶対に○○でなければならない的なものは少ない。

笑わないわけでもないし、無表情でもない。感情表現は必要以上にあるような感じさえする。そんなわけで、小さい頃には全く自閉症の兆候にあてはまらないように見え、言葉の遅れと言われ続けてきた。そして、それは確かに今を持ってしてもあてはまっていないのだった。

ベンが自閉症であることの決定打は、自分以外の世界との交信が無くなってしまう事。はまり込んでしまうと夢の中にいるようになってしまう。昨日は学校に迎えにゆくと、読み書きの先生が最近のクラスでのベンの様子を教えて下さった。

「ベンは好きな勉強以外はやりたくないようで、最近は私が質問しても上の空でいることが多いですね。宿題もやっていないようですし」。先生は苦情を言うというスタンスではなく、ベンのことを一生懸命に考えてくださっているからの発言だというのが話し方から受け取れる。

宿題は必ずやってゆかないと気が済まないベンだったが、ここにきて状況が変わりどうでも良いことになってしまったのか、単に忘れてしまっているのか。どちらにしても好きでないことをやらないで済ませてしまうという考え方に基づくものには違いなさそうだ。

がっかりした気分にさらに追い打ちをかけるように、担任の先生はベンが怒って机を叩いたり、蹴り飛ばしてしまったという話をして下さり、状況は穏やかではないことを知った。

自由奔放型と名付けた通り、感情のおもむくままに行動してしまっているようで、自分の中でのルールはおろか、社会の規律を乱すほどの傍若無人ぶり。即座に先生の前で注意したが、事の重大さに気づいたのかベンは「I’m sorry」と先生と僕の両方に言い続けている。

思春期における感情の起伏がそのまま行動に現れているようで、さらに話を聞くと、気に入らないことがあるとゴミ箱を蹴ったり、何もしてもいない友達が自分のことをからかっていると思い込んで言い合いになったりということもあったそうだ。

理由なき反抗?

やれやれどうしたものかとため息をついていると、夜も11時をまわりベンが「Good night, I’m doing good job」と言いにくる。しばらくして部屋を覗くとBill EvansのWaltz for DebbyのCDを聴きながら寝ているベンがいた。

どちらも寝る時の平和な儀式だった。


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# by gakuandben | 2008-02-10 03:02 | 自閉症に関して
三味線
小学校の頃、ギターが欲しくて仕方がなかった僕は、叔母の家に行くと置いてある三味線をつま弾いていた。

ギターとは違うが、弦をはじく感覚が嬉しくて指でポロリポロリとやっていたのだが、バチを使うと攻撃的な音がして長唄の合間などでも一発で妙に存在感があるものだ。

その後目出たくギターを買ってもらったので、三味線で遊ぶことはなくなったのだが、高校に入ってベースを始めると何と三味線のバチ裁きと同じ動きをする弾き方がある。

当時ラリー・グラハムやルイス・ジョンソンが代表格だったチョッパー奏法は、僕にとってはまさに親指が三味線のバチとなったようにも見えたのだった。

おまけに音が格好良い。今まで目立たなかったベースの音が主役になれるこの弾き方は、バンドでギターをやりたかったがじゃんけんで負けてベースになってしまったのを逆に嬉しく思うほどに魅力的なサウンドだった。

そんな理由も手伝って、僕はチョッパー奏法のみでベースを弾き始めたのだが、これが楽しく中毒のようになってしまい、学校から戻ると夕食になるまでずっと練習していたお陰で上達も早く、当時流行っていたディスコのチョッパー・ベースは殆ど弾けるようになり、すぐに人を殴ったりする学校の怖い友達からも一目置かれる存在になる事が出来た。


20年以上の時が流れ、叔母も他界して誰も居なくなった家には三味線が残った。そんな三味線をNYに持って来たのが2年前。街のあちこちで、それぞれの民族がそれぞれの楽器で演奏しているのを見て、自分の民族楽器を持ちたくなったのだ。

久しぶりに弾いてみると、ああ、これは日本の音だなと感動しきり。習ったことも無いので教則本を取り寄せ、ギターと同じ間隔にチューニングをしバチを持って弾いてみると確かにチョッパー・ベースと同じだ。

小学校の頃に開いた楽器の扉に1周して戻ってきた。




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        3月をもって終了しました。お越し下さった皆様、有り難うございました!
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# by gakuandben | 2008-01-28 07:40
Believe in Humanity
ここ数日間気になって仕方が無いニュースが、佐賀の知的障害者取り押さえ死亡事件。

事件が起こってから3ヶ月以上経っているのだが、被害者のご両親が県警を告訴したことにより、障害者に携わる僕らにはさらに目の離せないニュースとなった。

25歳の授産施設に通う自閉症者が、自転車に乗っての帰り道にパニックを起こし、警察に拘束され死亡という話なのだが、焦点となるのが警官が暴行を加えた可能性があるという事。

当初は事実を隠していた県警も、目撃者の情報により再検証を迫られることになる。

事実関係がはっきりとしないので結論づける段階ではないが、もし暴行を加えているのであれば、間違いなく警察の過失であり恐ろしい話である。

取り押さえの際、体を触られたことにより興奮した障害者から唾を吐きかけられたというから、警官が逆上し殴った可能性がある。さらに、彼らは障害者とは知らずアルコールか、薬物中毒患者だと思っていたとも述べている。自転車に乗れるくらいなのだから、確かに外見は普通に見えたに違いない。


実はこの部分がまさに僕が常日頃心配している事であり、成人してゆく息子を危惧する最大のハードルと重なっているのだ。

もし、この話がアメリカであったなら暴行の部分は無くなり即座に銃で撃たれてしまう結末だってありうる。実際に、持っていない拳銃を出すような動作だけで撃ち殺されてしまった(健常者)という事件も訴訟になっている。

しかし、この佐賀の事件に関しては、たとえそれが何らかの中毒患者であったにせよ5人がかりで取り押さえ、さらに暴行を加える必要は無かったと思われ、事実関係の究明、告訴も当然の事だろう。

普通に見える外見と障害を持った内側。明白に障害のわかる身体障害者とは違い、誤解される事の辛さは一生つきまとう。僕らは今まで何度説明しただろう、バスの乗客すべてに向かって、病院の待ち合い室で、公園の砂場で、そして警察官に。

授産施設施設で仕事が出来るようにまでなった息子さんを、ご両親はどんなに誇りに思っていたことか。

インターネットでこの事件に関しての意見を見ると、それぞれの立場や感覚でそれぞれの言い分があり、誰が悪いのかを見つける事に終始してしまう議論は読んでも暗い気持ちになるだけだ。

そんな中で行き着いた明るい情報は、障害者であることを知らせるバッジ。
こういった事件をきっかけに、全国、世界レベルで何らかの共通サインが使われるようになればという希望が見える。

リストバンドなど、障害者の証明のある人のみに配られるようにして、せめて警察官のみにでも認識できるようなシステムに出来ないものかと考える。サインは、差別や犯罪のターゲットにされるなど別の問題を生み出してしまう可能性もあるが、トラブルが起きた時の最終段階で頼れるのはやはり警察だろう。

その警察に誤解され、殺されてしまう可能性があるのでは、本当に行き場のない気持ちにさせられてしまう。

つづく
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こちらはイギリスTreating Autismで販売しているバッジ
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# by gakuandben | 2008-01-17 09:01 | 自閉症に関して
Clear Statement
「I don't want to」は最近ベンが良く使うストレートな表現だ。

それは言い訳でもなく、話し合いによる和解を求めるのでもなく、本当にそうしたくない事の表明で、これ以上の強い意思表示は無い。


学校で始まったギター・クラスのヘルプに行くと、皆がストロークの練習をしているところで、ベンだけひっくり返したギターを机代わりにして本を読んでいる。「ベン、ギターのクラスなんだからギターを弾かなきゃ駄目だよ」と言うと「I don't want to」。

夜の11時を回ってもまだコンピューターを消そうとしないベンに「ベン、明日は学校なんだから、もう寝なさい」と言えば「I don't want to」といった具合だ。

クリアである上にどうにも行き場の無い返答に、僕は反抗された事に対して怒る気持ちをしまい込み、以前クラスで習ったように声のトーンを変えることなく説明する。 

「今はギターのクラスで皆が協力して音を出さなくちゃいけないんだ。」「明日は学校があるから早く寝ないと起きれなくて学校に行けなくなるよ」

理由はともかく、嫌な物は嫌だという気持ちは誰にでもあるが、それを乗り切る自制心を何とか理解させなければならない。親や先生が怒るからという理由で言う事を聞かせることは、怒るという別の行為となってしまう。

文句と言うコミュニケーションの次には理解する作業が必要になり、ただ文句を言わせているわけにはいかなくなったという訳だ。

宿題をやり遂げたり、学校へ行くという事に対するこだわりがあるので助かってはいるが、学校生活はともかく、仕事をするには「I don't want to 」の連続だろう。「朝は7時に起きます」的なきっちりとした生活パターンが出来てくれれば良いのだが。

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           将来への不安を確実に感じさせる20度近い1月の小春日和
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# by gakuandben | 2008-01-09 08:05 | 自閉症に関して
Christmas time is here
いわゆる子供向けのクリスマスを卒業した感のある今年のクリスマス。サンタクロースは存在しないが、実在する誰かがサンタクロースになっているのを認識し、プレゼントはソリではなくアマゾンドットコムでやってくる。

25日まで渡さないように隠しておくクローゼットのスポットは完全に見破られ、狭いアパートではサンタの夢も簡単に壊されてしまうのだった。

示し合わせたかように夢は消え、時折クローゼットを覗きこむ子供達。何だか取り繕う面白みのなくなったクリスマス当日は貰って当然というプレゼントを開けることのできる期限日だ。

「ベン、プレゼントはサンタクロースが持ってくると思う?」と訊くと、「Umm, I don't know」と予想通りの返答。3歳年下の弟が即座に「No」と答えるのに比べれば、彼の中に夢は残っているか、 単にどうでも良いことなのか。

しかし普段から多くの時間を空想の世界で生きているベンには、それが現実であろうがなかろうが、自分の中での空想としてあれば良いわけであって、白黒をつける問題でも無いのだろう。そしてこれからも、ずっとそれは続いてゆくに違いない。

誰もがサンタを夢見で、自らもサンタになる。14歳でもサンタクロースを信じているかもしれないベンにいつまでプレゼントを渡せるだろう?


ギフトの式典のようになってしまったクリスマス・シーズンは、少し辛いくらいにモノが氾濫しているのだが、サンタさんのプレゼントはそんなに多くは無いはずだ。

元旦には大晦日にカウントダウンで盛り上がったタイムズスクエアに行ってみる。年が明け、すべてが終わった新年の風景は落ち着いていて、とてつもなく平和だ。

クリスマスの飾り付けの残ったこの時期の街が、本当のクリスマス気分を楽しませてくれた。
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# by gakuandben | 2008-01-04 07:07
You are teasing me
用事でベンの学校に行ったついでに、こっそりと教室を覗きに行った。親の来校はアポなしでいつでもOKというのがポリシーであるだけに、いつ行っても「Hi,Mr.Takanashi How are you ?」と先生方が暖かく声をかけて下さる。

ベンは算数の授業中ということで、小さめの教室に8人ほどの生徒が座っていたのだが、何故かベンだけが立っており本棚の本を立ち読みしている。先生に
「授業中に勝手な事をしていてすみませんね」と言うと「ああ、いいんですよ、時々やってまた戻りますから」と、やさしい言葉。

しかし、そんなベンに目をつけたクラスメイトが「おいベン、おまえの親父が来ているぞ!本なんか読んでいて良いのか?」とからかう。ベンは僕の方を見て「Hi Dad」と言うのだが、続けてその友達に向かい「Hey, Don't say that. You are teasing me」(黙れ、からかっているのか)と言い返している。

以前では考えられないベンの反応に驚くとともに、いつもは全く自分の世界に生きているようで、ある意味とてもコネクトした世界に生きていることに気づかされた。一体ベンのコミュニケーションというのはどうなっているのだろう?

言われたら、言い返すスタイルはまさにニューヨークの人そのものだ。どんなに自分に非があろうとも言い返す。


年末に良く仕事をするエージェントの女性は、雇ったミュージシャンにクライアントから今後の仕事を横取りされることを異様に恐れており、常に言い合いの原因となる。

「ミュージシャンはクライアントに決して個人のカードを渡しては駄目。私の会社のカードを渡しなさい」

「それはわかっています。僕らはただ、クライアントに名前を伝えただけで、それも向こうからのリクエストだったんです。カードを渡したわけでも、電話番号を教えたわけでも無いんですから」

演奏を気に入ってくれたクライアントが次回も同じミューシャンを雇いたいために名前を確認することは良くあるのだが、それはエージェントである彼女にとっては直接仕事を取られてしまう恐怖であるようなのだ。

とにかく吠える、とりあえず文句を言うのは精神安定剤のような役割をしているのかと思い、最近はあまり真剣に受け止めないようにしている。そして、電話にもすべてメールで返事をすると、比較的落ち着いた状態を取り戻すのだ。

コミュニケーションとは文句の言い合いから始まっているのかも知れない。

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# by gakuandben | 2007-12-26 01:48
Quality of Life
「私が死んだ後に、家賃の支払いやトイレの世話は誰がやってくれるのかと思うと。どうすれば良いのか見当もつかないんです」

「持ち家なんですが、私が死んだ後に誰かが息子のためになるようにお金に変えてくれれば良いのですが」

真剣に自分の死んだ後の話をしているのは、皆障害児を持つ親たちだ。

ベンの学校で開かれたワーク・ショップは大手の生命保険会社であるメット・ライフが主催する障害者を持つ親に対してのもので、専門のスタッフがそれぞれのケースをもとに、障害者扶養に関する知識を深めるといったもの。

メット・ライフ・デスクという専門の部門があり、カウンセラーの半分以上が実際に障害児を持つ親、それ以外も障害者サービスに従事した経験のある方だそうで、親身になって解説してもらえるのも納得がいった。

講義の内容はトラスト・ファンド(信託基金)を作り障害者が受取人になるように設定することにより、衣食住をカバーする国からのベネフィットを受けながらも、賄えない部分である教育や、趣味、旅行などの経費を残すことが可能になるというもの。説明用のボードには「クオリティ・オブ・ライフ」と書かれ大きく赤丸で強調された。

ポイントになっているのは、単に銀行などにお金をセーブするだけでは所得と見なされてしまい、課税対象となるばかりか障害者ベネフィットも受けられなくなってしまう可能性があるという点。

信託にしておけば、親が死んでしまった後も決められた条件に見合った事由であれば、その時点での介護人が障害者の生活クオリティの向上の為のみにお金を引き出すことが出来るというわけだ。

メット・ライフがこのワーク・ショップを開く理由は、信託として残しておく財産に生命保険が好都合だからで、最後には「是非これを機会に生命保険に加入しましょう」となるわけなのだが、それにもかかわらず人助け的要素の強い気持ちにさせられるのは、カウンセラーの方の情熱が伝わってくるからなのだろう。

遺言を作っておく為の弁護士を紹介する機関や、18歳を超えても保護者でいるための書類の作成方法など、障害者の親がこれから直面してゆく問題に対する整然とした説明を聞きながら、僕はいつも心の中に抱えている将来に対する不安が和らいでゆくのを感じていた。

一生懸命に聞いていたお父さんが「knowledge is power」と一言。そこにいた誰もが、確かにその通りの気持ちになっていただろう。

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# by gakuandben | 2007-12-18 01:48 | 自閉症に関して
ジョンの願い
アパートのあるイースト側からセントラルパークを横切り、噴水をこえるとドラムやギターの音が聞こえはじめてくる。ストロベリー・フィールドはウェスト側だが、夜の公園を横切ると以外に近く感じる。

闇の中に浮かび上がるろうそくの火がだんだんと近づいてきて、大ファンである次男も興奮しきり。ジョン・レノンの命日は毎年のように人々が集まり、皆1日中合唱をしているのだ。

ビートルズの曲の中でもジョンの曲に限っているようで、次から次へと飛び出すレパートリーには僕のようなにわかファンが知らないようなものも多いのだが、合唱の途切れることはない。

おまけに2つのバンドが至近距離で演奏しているので、バンド合戦状態になっている。交代にするなど互いに少しは遠慮しても良さそうなものだが、それぞれのバンドが合唱する人に囲まれることにより、輪の中はスタジオ状態になっているものと思われ、外から見た心配は熱気に包まれた内部では全く無縁のようだ。

輪の中に加わるスペースもなく、僕らは遠巻きにろうそくを掲げる。毎年増えてゆく人の多さにまるで70年代の映像を見ているかような錯覚に陥るほどなのだが、そのほとんどがジョンの没後に生まれた世代なのだった。


世代を超えた音楽を共有する素晴らしさを実感する。ビートルズはその代表格であるとともにインターナショナルなものでもあり、英語以外の言葉も多く聞かれた。

ただ、ジョンに関して特別なのは単に音楽へのノスタルジーにとどまらず、残されたメッセージが今を生きる若い世代へ強く働きかけている点だろう。イマジンで歌われたような壮大なテーマは少しも達成されることはなく、未だに同じことが繰り返されている状況を彼らはよく知っているのではないだろうか。

ひとしきり平和集会のような雰囲気を味わった後、ストロベリー・フィールドを後に静かな夜の公園へと歩き出すと、次男が「That feels like make me cry」と言う。「何故?」と訊くと、「あんなにたくさんの人がジョンのことが好きで集まるなんて、泣けてくる」と。

なるほど、そういう感動の仕方もあったなと思い「それは凄く良い考え方だね」と褒める。しかし、それは忘れかけていた皆で気持ちを1つにする感覚を思い出させてくれる一言であり、ジョンが望んでいたことそのものだった。


ろうそくを持つのを恐がり、地べたに座って大人しく成り行きを眺めていたベンは、誰ともぶつかる心配のない平和な夜の公園を自由に歩いていった。


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# by gakuandben | 2007-12-12 05:08
Memories in Tube
YouTubeのお陰で、ありとあらゆる映像が思いつくままに見れるようになった。懐かしいミュージック・ビデオや動いたところを見た事も無かった伝説のミュージシャンと、頭の中の情報量は飛躍的に大きく膨らみ続けている。

当然のことながら、情報を絶えず受け入れていたいベンにとってこれほど楽しいものはない。あまりの興奮度合いに一時は禁止していた動画サイトだが、いつの間にかなしくずし的に見ても良いことになっており、今や完全にテレビにとって変わるものとなった。

いくらでも続けて見返すことのできるこのシステムを、自閉症のスピリットが放っておくはずも無く、彼らの好みも電話帳からテレビ、ビデオそしてユーチューブといった時代の流れととともに進化しているのが伺える。

そんなベンが最近見つけて見ているのが、赤ん坊の頃に毎日欠かさず見ていたビデオ、「キッズ・ソング」。何度も何度も巻き戻しては見ていた映像は、とびきりチージーな歌のお姉さんと子供たちが演技をしながら歌うというもので、曲はアメリカの幼稚園で歌われるもののオン・パレード。

「何故ベイビー・プログラムを見ているんだ?」と訊くと、「Ben loves memory」と答える。確かにベンは思い出好きで、アルバムやコンピューターにセーブしてある写真を見返してはにこにことして興奮したりしていることが良くあるのだ。

トイザラスに行っても、ベービートイの棚の前でおもちゃを楽しんでいる事も多く、「また、ベイビーに戻りたいのか?」と意地悪を言うと、「No, I am teenager!」と言い返してくる。

学校の先生に相談すると、「それは皆が普通に持っている感覚で、大人になったからという自覚によって隠しているだけなのでしょう私も今でもぬいぐるみが好きですよ」とおっしゃる。

もちろんこれは女の先生だが、男の僕でさえ、ぬいぐるみは可愛いし、確かに人からの見た目で好みをアジャストしているという事はあるだろう。特に子供の頃は、もう○年生だから○○をするのは恥ずかしいというのは良くあった。

見た目などは全く問題にしていないベンにとって、ベイビー・トイは未だに楽しいものであり、メモリーを呼び起こさせてくれるのは「キッズ・ソング」のビデオでもある。

「Home home on the range~」と声高らかに歌う14歳はちょっと居ないだろう。日本なら、「ウサギ追いしかの山〜」という事になるのだろうか、外で歌うとちょっと人目をひくが、どちらも良い曲だ。

という僕も、YouTubeで昔見たドラマを見つけて涙しているのだった。


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# by gakuandben | 2007-12-05 15:56 | 自閉症に関して
人耳に触れること
先日、日本で発売された土岐麻子さんというシンガーのアルバムに1曲だけ作曲で参加させて頂いた。

バンドではなく、完全に作曲という形での曲提供は初めての経験なのだが、やってみると実に楽しいもので、想像の中で歌っている人の声を追い、出来上がったものにゼロから考え出された歌詞がつく。

歌詞を書けない僕には、あっという間に物語が出来てしまうようなマジックで、完成したものを聴いてみると逆にこのストーリーのために曲が作られたような気さえしてくるのだった。

そんな風に感じさせてくれる歌詞と曲とのマッチングには、きっと素晴らしいアレンジのパワーがあるのだろう。出来あがった作品からは音楽的な共同作業の楽しさがたくさん伝わってくる。

初めて聴かせて頂いた時、思わず「音楽って楽しいなあ!」と言ってしまったのだが、本当にそんな気持ちにさせられる出来事だった。

音楽を聴きながらニヤニヤしてしまうことが良くあるが、それは自分が思う表現と、演奏者のした表現との間に共感できる部分があるからなのかも知れない。歌詞も含めて、共感の振動が聴いている人々に伝わってくれればと思う。



ベンは道で歌を歌い、ピカピカに磨かれたSUVからは、周りに地響きを起こさせるほどの音量でヒップポップが流れる。

この喜びを誰かに聴いてもらいたい。

ライブで演奏するよりもっと多くの人と、一度にいつでも楽しみをわかち合えるというのは、レコーディング作品を残すことの大きな意義であり、こういった機会を下さった土岐さん、スタッフ、ミュージシャンの方々に本当に感謝したい。



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                 8曲目「サーファー・ガール」です
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# by gakuandben | 2007-11-29 02:55