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ニューヨークでミュージシャンとして活躍する一面、自閉症の子供と向き合う現実との戦い
by gakuandben
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推薦文・プロフィール
タケカワユキヒデさんから推薦を頂きました!
 「自閉症の子供を持つ親が勇気づけられるだけでなく、自閉症のことをよく知らない人たちにとっても、とても意味のあるエッセイだと思います。
 また、生のニューヨーク事情も知ることもできる。なんとも、幾重にもお得な素晴らしいエッセイです。

プロフィール
高梨 ガク
64年東京生まれ。ベーシスト。18歳でプロ・デビュー後、90年に渡米。ソウル、ジャズ系の音楽を中心に幅広い音楽活動を続ける。ポリスターより自己のバンド
『d-vash』(ディバッシュ)”Music Is”が発売中。
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On The Sunny Side Of The Street
音楽の仕事をしていて楽しいことの1つに、あらゆる世代の人と一緒に共演できることがある。

それが子供であり、大学生であり、自分よりちょっと年上であったり、老人の域に達する人であっても、それぞれに共演することで学ぶことは多いのだが、リタイアメントのない音楽界では、とりわけシニア世代と巡り会うチャンスが多い。

先週の仕事で一緒になったドラマーのジョージは86歳。年齢を知って驚かされるのはプレイばかりでなく、その奢らない態度と常に新鮮であろうとする精神だ。一点たりとも自分のキャリアを誇示したり、ネガティブな考え方をすることはなく、音で教えてくれるのだった。

そんなジョージは休憩時間にパーティーの会場で配られたシャンペンを口にして、シャンペンは嫌いだと言った。
「大戦中に軍隊がヨーロッパのどこかで足止めを食らって、持っていた水が底をついた後、近くにはシャンペン工場しか無かった。それで、俺たちはがれきの中でシャンペンで歯を磨き、食事を作り、シャンペンを飲んで生き延びたんだよ。だから人生で飲むシャンペンの量はもう充分なんだ」

金曜の朝に近所のコミュニティハウスの老人会にボランティアで演奏をしに行くと、そこではたくさんの人たちがダンスをし、それぞれの持ち歌を歌う。      

南米の出身と思われる元気なおじいさんは必ず「ベサメ・ムーチョ」を歌い、白人女性はキャバレーシンガーばりにワイヤレスマイクで客席に歌いかける。
脳梗塞の後遺症か、表情を変えずゆっくりとしか歩くことのできない男性は
美しくも簡単ではない名曲「イマジネイション」を小さな声で完璧に歌い上げた。

細身できちんとメイクをした老女がマイクを持ちバンドにキーを告げると、すらりと正確なピッチで歌いだしたのは「On the sunny side of street」。歌い出しからスイングしてゆく様子は熟練の技だ。ステップも加えて歌い終えると、エンディングには最後のビートでストップ・モーション。訊けばやはり大戦中に軍の慰安バンドで歌っていたそうで、「私は90歳なのよ」と目を輝かせて言った。

老人に年を言われて「いや、そうは見えませんよ」というのは決まった受け答えのようだが、その青い目と褐色の肌の輝きは即座にそう答えさせるのに何よりもの説得力があった。      

彼らの生きている時間のうちに、86年間あったヤンキースタジアムは昨日でクローズし、戦争でたくさんの人が亡くなり、ワールドトレードセンターが完成して崩壊し、黒人が差別から解放され、黒人の大統領候補がいる。 

彼らから伝わってくるのは、それでもやっぱりしっかりと生きていたこと。生かされた役目を全うするかのような落ち着きに、僕は自分に与えられた役目をとても大きな時間の中で捉えることになる。

そして、少しずつでも一生懸命に生きて歳をとれたら良いと思わせてくれる瞬間なのだった。


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# by gakuandben | 2008-09-23 02:42
オーティズム ザ・ミュージカル
ドキュメンタリー映画というものの面白さは、半現実体験を出来る点と、実際に起こった現実を見る結果の重みだろう。

「Autism: The Musical」は、僕ら自閉症者の親にとって目にいたいほどに飛び込んでくる現実の映像記録であり、まさに半分現実に体験しているような気持にさせられるドキュメンンタリーだった。

プレビューを見る限りでは、美しい感動のストーリー的扱いになっているが、このドキュメントは自閉症をテーマにしているわけで、当然のことながら実際の話は単純な進行をしてゆくことは無い。

それぞれの親が持つ夢とそれに立ちはだかる壁、それらを一つにまとめてミュージカルを完成させようとする指導者とのぶつかり合い。混沌とした中から、1つの光を導きだすような作業の過程を見てゆくことになる。

フォーカスのあたる5人の子供達は、それぞれに違った発達をし、それぞれに特技を持ち、それぞれの家庭環境がある。僕はミュージカルの成功というテーマよりも、子供達の背景にあるたくさんのストーリーに心を打たれる部分が多かったのだが、それはやはり自身を重ね合わせるからだろうか。

「あるとき、ドクターの提案でこの子のすることを全部真似してみたの。ぐるぐると回れば、私も一緒に回ってみる。手をひらひらさせたら私もしてみる。それで、こうした普通ではない動きを構わずに一緒にしてくれる人として頼んだのが演劇の人たちだったんです。」

それから、彼女は自分の子の世界と自身の世界を繋ぐ方法として演劇をすることを思いつくのだが、このお母さんこそがこのドキュメンタリーの主人公的存在なのである。

「ミラクル・プロジェクト」と命名されたこの劇団は11人の自閉症児で構成され、その発起人・指導者は医者でも先生でもなく、一人の自閉症児の親なのだった。

そういった意味で、やはり一人の親としてたくさんエネルギーを与えてもらうことにもなり、特に僕のような彼らの世界を知りながらアートに携わる者として喚起させられる部分が多いにあった。

そして、何よりこのテーマを取り上げて製作するに至ったディレクター、配給元のHBOに大きな拍手と感謝の気持を送りたい。
      

オーティズム ザ・ミュージカル_f0097272_5125031.jpg
# by gakuandben | 2008-09-16 05:13 | 自閉症に関して
手をつなぐ親子
ひと夏を超えて、ベンはまた大きくなった。

体型が太めだったのが、背が伸びたお陰でストレッチされて太り気味程度の見てくれになってくれたのは有り難い。

と、ここまで書いて、「あっこれって前も夏の終わりに書いたような気がするな」と思うのだったが、今回はちょっと違う。

妻の背を追い抜いたのはしばらく前だったが、今回は僕の背に肉薄してきていて、まだ追い抜かれないまでも体積的にはもう殆ど同率の域に達しているのだった。

立派に育ったベン。もう子供ではなく、街中にベンより小さな大人がたくさんいる状況になった。昔と変わらず手を叩けば、その音量はファイヤー・クラッカーのようでもあり、独り言はとても自分だけに聞こえるものではなくなっている。

昨日はレストランに行った帰りに、夜の街を歩いた。夏の終わりの夜を楽しむレストラン客達が歩道にせり出したテーブルを埋め尽くす。客席のすぐ横を歩く事になるベンを見ていて、手をかざしたり声を上げてしまうような動作は迷惑だと感じて僕は咄嗟に手をつないだ。

掴み心地の良いふっくらとして大きな手は、小さい頃と同じように掴み返してくれる。

そんないつもの動作をしながら、ふと思った、僕は父親に何歳まで手をつないでもらっていただろうか? 
一人で歩けるようになるまでは、みんな手を繋いでもらっていた。勝手にどこかに行ってしまったり、他人に迷惑をかけたりしないように手を繋いだ。

いつの日か子供は大きくなり、実際に手はつながなくなるのだったが、親が本当に子供の手を離すのは結婚であったり、就職であったりとそれぞれのきっかけがあるだろう。

僕は自分と同じくらいに大きくなった息子と実際に手を繋ぐ。
本当に一人歩きが出来る日が来るのかどうかもわからないのだが、手をつなぎ続けるだろう。

そして間違いなく思うのは、「手をつなげる人が居て良かった」ということだろう。






手をつなぐ親子_f0097272_21555499.jpg
# by gakuandben | 2008-09-09 22:08 | 自閉症に関して
Some kind of kindness
日本に滞在中にたまたま見たのが、老老介護のテレビ対談。ドキュメントを交えながらの番組はため息の出てしまう映像の連続で、痛いほど問題の根深さが伝わってきた。
定年まで一生懸命に働いて、老人になった後は使い物にならないかのように見えないところに押し隠されてしまう。

音楽関係で知り合った方は偶然にも自閉症のお子さんの父親で、日本の自閉症介護について話をする機会があったのだが、

「日本はまだ乳母捨て山の発想が根強いですから。臭いものにはフタをするという感じですかね。」

彼の言う一言はドキリとさせられるほど怖いのだが、確信のある響きだった。

「それはアメリカと正反対ですね。アメリカでは、自分の子に障害があるために教育機関が対応しないのは、不公平だという発想から始まっていますから」
と僕は続けるのだが、言いながらすっかりと忘れていた感覚を思い出していた。

日本人として生まれた僕には、間違いなくその発想はあって、ベンが自閉症と診断された時にはそんな申し訳ない気持ちと、自分の子供に対する愛情でぐちゃぐちゃになってしまっていたのだった。

10年を超える月日が流れて、あらゆる状況で主張をする機会を与えられた「申し訳のなかった親」は、いつの間にかしっかりと誇りを持って障害児を育てられる親になっていた。

義務教育として受けられる教育が、子供の発達にそぐわないということになれば、市に対して訴訟を起こして私立の学校のための学費を支払うように求める。弁護士をたてて何故そのような特別な教育が必要なのかを立証してゆくのは大変な作業なのだが、そこには不公平であるという根本的考え方から始まった窓口が開かれているのだ。

性格の違う2つの国で、それぞれの長所短所を感じながら数々の場面に遭遇してきたのだったが、久しぶりに日本で見た現状は以前の自分に引き戻されるとともに、日本人のメンタリティとして理解できる部分も多分にあり、考えさせられてしまう。

自分の息子の障害について相談して、最初に聞かれるのが「Are you doing fine?」
助ける側に大切な違いがあるとすれば、ケアする側の人をもっと認めるやさしさなのではと思わずにはいられなかった。




Some kind of kindness_f0097272_21325836.jpg
# by gakuandben | 2008-07-25 15:50 | 自閉症に関して
Estate (Summer)
目を閉じて演奏に聴き入っていると、自分が演奏しているのにもかかわらず、聴き手になってしまう事がある。

先日の帰省ライブで演奏した「エスタテ」で訪れたそんな瞬間に、僕は涙をこらえきれなくなってしまったのは、自分のいる場所と時間に押し出されるかのように湧き出て来たものだった。

閉じていた目を開くと、そこはステージで傍らには一緒に演奏している仲間がいる。「ああ、僕はこの素晴らしい曲を演奏しているのだな」と我に返るのだが、20年という時間の隔たりを超えて戻って来たこのライブ・ハウスには、昔と同じ風景があった。

あのとき見て感じたものを、時を隔てて経験すると、そこにはせき止められていたたくさんの時間と出来事が一気に流れ出してくるような気がして、どうにも止めることが出来ない。

そこには憧れの国に行く事を夢見て演奏をする自分が居て、その先に会うベンと弟のことなど知るはずの無い自分が居た。

そして20年が経った今、大好きな音楽を仕事として続けていられる幸せな自分と、それを助けてくれる肉親や仲間達が1つの場所に居る。命が尽きて、もう見る事の無くなった人の笑顔があり、生きている人の声と拍手があった。


大切な肉親と仲間がいるこの国と、自分の家族がいるもう一つの国とが自分の中でやっと一つにつながったような気がした。


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# by gakuandben | 2008-07-15 15:06